作品
春に眠る
四月になった。
庭を白く染めていた雪は完全に融け、空は徐々に青さを取り戻し、頬を撫ぜる風は生ぬるい。庭の池の鯉はいつの間にか姿を消していたが、桜はその蕾を解いて爛漫に季節を歌う。
大倶利伽羅がどれほど背をそむけて見ないふりをしてみても、今は逃れようもなく春だった。
何度見下ろしても左腕に竜の姿がないのもまた、春でしかなかった。
思わず吐いた息は深く、肺が潰れるような気もして、これが人の形であることかとも思う。しかし、寝床に座ったまま呆けていても竜が帰ってくるわけもなく、大倶利伽羅はもう一度だけ息を吐いてから立ち上がった。
大倶利伽羅の刀身に彫られた倶利伽羅竜の本性は黒竜だ。本来なら司るものは冬であるはずなのだが、どういう理由か深く雪に閉ざされた奥州の地にあったころも、竜が腕を抜け出すのは春のことだった。
身支度を整えて外へ出れば、色の濃いものから薄いものまでひたすら桜しかない庭が目に入る。早咲きのものも遅咲きのものもあるらしく、まだ雪が残る頃から花が開いていたことを思い出した。おそらく、そのせいもあるのだろう。例年ならもう少し気をつけておく竜の様子を忘れていた。
それでも、今年は探しまわらずに済むのがありがたい。階から庭に降り、やわらかな青草に覆われた道無き道を歩く。迷子が頻出しやすいこの城は大倶利伽羅にとってはどこか懐かしさもある山城で、初期からいたために道を覚えるのも早く、帰ってくれなくなったものを探しだすのによくかりだされたせいで目を瞑ってもそうそう迷うことはない。それは、だいぶ後になってここへやって来た旧知の太刀もで、案内など特に受けなかったはずなのに彼もまたこの城にあっという間に慣れていた。
だから、こんなふうに桜が咲き誇る庭で、彼がどこにいるのかなんて確認するまでもなくしっている。
「鶴丸」
庭の奥、枝垂れ桜の古木の元に真白の装束を纏った鶴丸国永は寝転んでいた。その胸の上でとぐろをまくのは見間違えようもない、己の左腕に棲む倶利伽羅竜だ。
「早かったな、大倶利伽羅」
寝転んだままの蜜色の瞳がやわらかく細められた。
「春だからな」
朝早くから呼びつけたのはお前だろとは言わずに答えにならぬ答えを返して、隣に座る。腕に戻らぬ竜の尾はまどろむようにゆるりと揺れ、つられるように目を閉じれば体を包む陽気は紛れも無く春だった。
くりつるワンドロお題:鳥来月/竜
- 2015/04/12 (日)
- ワンドロ
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