作品
Vigilate
目を瞑る。
それだけでよかった。
とろりとした闇に身を浸して眠れぬのだと己に言い聞かせながら内にこもる。
それだけのつもりだった。
目を覚ましていなければならなかった。
風が強く吹いていた。足元には瓦が続き、途切れた先には見慣れていたはずの景色で、懐かしさにぎゅうと何処かが絞られる心地がする。
どこに己がいるのかなど考えるまでもなくわかっていた。それほどには馴染んだ場所である。ばさばさと音を立てて羽織が翻るのは抑えずに弄ばれるのに任せて、体の平衡感覚を失って落ちぬようにその場にゆるりと座り込む。
目を瞑っただけのはずだった。
この場所には既になにもないことは知っている。一度も攻め込まれることなく役割を終えて、今はただ夢の跡が残るだけだと風の噂に聞いた。
けれど、今眼下に広がるのは知っているままの建物がまるごと残り、城下もさして変化している様子はない。
それだけで、今の己がどういう状態なのかは飲み込めた。現であるわけはないことは最初からわかってはいた。
「……呼ぶものもいないし、梅のようにはいかないか」
「なにが梅なんだ」
「おいおい、教えたことがあるだろう。菅公の白梅だよ」
不意に後ろからかかった声にいつもの様に返してから振り返れば、そこには懐かしい顔があった。黙って立っていると仏頂面のようにもみえるが、機嫌にさして関係なくこんな顔をすると知っている。ただ、今はかすかに戸惑いが混ざっているようにも見えて内心で首を傾げたが、指摘しても有益な応えが帰ってくることはないこともわかっているからとりあえず隣りに座るよう促せば、彼はおとなしく右に座す。左腕に棲む竜を目の当たりにするのも久々だ。
「呼ばれたかったか」
思いもよらぬ問に横顔をじっと見てしまったが、答えぬままでいたら横目で促されてもう一度考えてみた。
「正直に言うとな、わからん」
随分と長くいたことは覚えている。少しずつ変わっていった町並みも、建物も、戦の準備が整っていく中でここを離れたことも、全てが色鮮やかというわけではないが確かにあったこととして身の裡にある。だからといって、ここへ帰りたかったかと問われればまた違うような気はした。
そろりと手を伸ばすも、その身の倶利伽羅竜には触れることが出来ずにその少し上の袖を摘む。
「鶴丸?」
目が醒めた。
眠ってしまっていたのだとわかるのは、起きたからだ。
こわばる体をどうにか動かして起き上がって膝を抱える。
指先にはまだ摘んだはずの布の感触が残っていた。
目を覚ましていなければならなかった。
くりつるワンドロお題:もう、離さない/夢
Vigilate, nescitis enim quando dominus domus veniat, sero, an media nocte, an gallicantu, an mane.
Vigilate ergo, ne cum venerit repente, inveniat vos dormientes.
Quod autem dico vobis, omnibus dico: vigilate.
(Mark 13: 35-37)
だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。
主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。
(マルコによる福音書 13:35-37)
訳文は聖書協会(http://www.bible.or.jp/)より。
- 2015/05/24 (日)
- ワンドロ
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