嘆きの在処

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きっと何度も思い出す

 かすかな歌声に誘われるように目を覚ました。カーテンのないアトリエの片隅でいつものように眠り込んでいたのだということは、遮るもののない強い日差しが何よりも雄弁に物語っているなかで、体にかけられていたタオルケットが他者の介入を明示して、異質だった。酒を飲み過ぎたのだと頭蓋の内側から脳みそをゆらす痛みをこらえながらどうにか体を起こし室内を見回す。不思議なことに歌声だけでなく、味噌汁のにおいまでがあたりに漂っていて空腹を刺激してくる。
 家の中に誰かがいるのは確かなのだろうとは思う。だが、その発端であろう昨夜のことが記憶から欠けている。昨夜は懇意にしている画廊が主催したパーティーに呼ばれたのは確かだ。どれほど人付き合いを拒もうとしても画家として食べて行こうと思ったら人脈は何よりも必要で、昨夜も苦手なことはわかるけどちゃんと人と繋ぎを取らないと駄目だよと引っ張り出された。立食形式だが、食の好みにもうるさい画商が采配しただけあって美味しく食べ過ぎたし飲み過ぎたのだろうということはこれまでからしてもありうることだ。だがそれでも記憶が飛ぶほど飲んだことはなかった。過去になかったことが昨日とうとう起こった可能性もなくはないが、少なくともパーティー会場で誰かとちゃんと会話した覚えもない。
 ますます状況がつかめなくなって、とりあえず味噌汁の匂いがするということは誰かが台所にいるのだろうと軋む体を叱咤して立ち上がった。ただでさえ閑静な住宅街のそのさらに奥まったとこにあるこの自宅は広さだけがとりえの古い平屋造りで、もう誰が住む予定もないけれど取り壊すのも手間だからと置いておかれていたのを画商から仲介されて格安で借りている。日本画はどうしても膠を溶かすときにひどいにおいがするためにこうして誰に気兼ねすることなく絵を描く事の出来る環境の確保は大変で、ありがたく住み続けていた。だいぶ前にしばらく住み着いていたものがあちこち手を入れていってくれたおかげで古い家屋だといのに心地もよい。
 ぐらぐらとゆれる頭をなだめながらどうにか辿り着いた台所には白い影が立っていた。燦々と射しこむ光が色みを持たぬその人を遠慮なく彩ってひどく鮮やかな光景にも見える。襟足だけ長く伸びた髪が背中に遊んでいた。
「よう、起きたか、広光。おはよう」
 古い家屋が大抵そうであるように歩くだけでぎしぎしと廊下がたてる音に気づいていたのか、足を踏み入れる前に相手がこちらを振り返る。そうしてまみえた白い髪にあわい金色の瞳、脂肪のつく余地どころか最低限の肉しか乗ってないような体型は見知らぬ他人のものではなかった。
「国永」
 最後に会ってからは何年も時間が経っているのにまるで変わりないように見えるのは相変わらずだ。
「昨日はだいぶ呑んだんだって?」
 くつくつと笑う手には小皿がのっていて差し出して来たのを受け取れば、味噌と出汁のにおいがふわりと香る。口に含めば同じ材料のはずなのに自分で作るのとはだいぶ違う、けれども懐かしい味が舌にのった。
「味噌汁以外は食べられそうか?」
 こうしてたびたび味見をさせられる割に感想は求められたことはない。
「いや……」
「まあ座ってな」
 伸びてきた手がくしゃりと頭を撫ぜて、手の中にあったままだった小皿を回収していく。痛みとだるさでうまく回らない頭で深く考えるのも面倒でおとなしく頷いて、台所においてあるテーブルにつこうとしたら軽く小突かれた。
「こら。無精しないで座敷いっとけ。横になってていいから」
 やわらかな光の中で淡い金色がゆるりと溶ける。あまりのまぶしさに思わず目を瞬けばもう一度頭を撫でられた。
 何か言わなければならないことがあるような気がして口を開いたが、言葉がうまく形にならずにそのまま空気を食んだ。いつもそうやって言い出せないものがあるまま、数年前に相手はこの家を出て行った。今もうまく口にはできず、気まずい思いを抱えたまま視線をそらして体を翻したところで後ろから声がかかった。
「借りてたものを返そうと思ってな」
 思わず振り返れば、男は記憶の中の変わらぬ顔のままこちらこそがまぶしいものであるかのように目を細めている。
「……そうか」
 帰って来たのかと聞かなくてよかったとどうにか飲み込んだ言葉を腹に収めて、彼がいる間はずっと食堂がわりにしていた座敷に久々に足を踏み入れると足下で埃が舞った。
 そういえば同居人がいなくなってから誰かとこの家で食事をとることもなく一度も入らずにいたのだったとようやく思い出す。冬には炬燵にもなる卓袱台を持ち込んだのも自分ではなかった。居候だからと明確に己の部屋を定めなかった彼はよくここで何かを作っていた。画家のはずだったがこの家で彼が何かを描いているところをクロッキーですら見たことはなく、日々木を削ったり、粘土を捏ねたりそういうことをしていた。作り出されたものの完成品をはっきりと見たこともない。初めて作るから上手く行ったらなといつも彼が隠してしまっていたからだ。
 なんにせよ、埃の舞う部屋で食事をとることは出来ない。台所に戻って座敷は使えないと告げなければと思って、起き上がった。
「え……?」
 勢いをつけすぎたのか振り回されたせいで余計に痛む頭を目を瞑ってやり過ごした後に、慎重にあたりを見回せばそこはいつも寝床にしてしまっているアトリエだった。カーテンをつけていない窓から燦々と光が射し込んで目に眩しい。
 夢だったのだろうかと首を傾げてみるも、先程と同じように体にはタオルケットがかけられ、どこかから味噌汁の匂いも漂ってくる。
「な……んで」
 普段からこの家に誰かを上げることを己はしない。唯一の例外は少しの間ここに住んでいた居候だけで、この家を紹介してくれた画商でさえここを訪うことを許してはいなかった。紙と向き合うときに近くに誰かの気配があることがあまり好きではないからだ。
 ずきずきと痛む頭を抑えてどうにかアトリエを出て台所へと向かう。
「くにな――」
「ああ、おはよう、大倶利伽羅」
 先程と同じように光溢れる台所にいたのは懇意にしている画商だった。一度家に戻ったのか昨夜のようなスーツ姿ではなく、いつもと違うシャツを着ているように見える。
「みつ……ただ……?」
「昨日だいぶ飲んでいたから気になってね。前に飲んだ翌朝は味噌汁がいいと言っていたから――」
 勝手に上がってしまって悪かったけれどという言葉の途中で身を翻してできるだけの速さで座敷へと向かい、中に足を踏み入れた。
 隙間の多い古い建築物とはいえ長らく開けてなかった部屋は空気が篭っていたし、やはり畳には埃がすっかり積もっている。息を止めて窓と雨戸を開け放てば、花盛りの庭が目に入った。
 かつて、そのひとつひとつの名を教えてもらったことがある。花の名前だけではない。庭にいる虫や、やってくる鳥、雨が降ればその季節における名を、雪が降ればその異称を、教授された。二人でいるときはいつだって彼が喋り、自分はそれをただ聞いていた。
 けれど、それはもう二度と聞けないものだ。彼がここを出て行った時に一度はそれを覚悟したはずなのに、本当に二度目がなくなるとは思ってもみなかった自分に驚く。
 ――昨夜の酒の席でもたらされたのは、かの人の訃報だった。
「大倶利伽羅?」
 夢のことなど何も知らぬ画商が心配そうに座敷の入り口に立っているのを無視して、明るい部屋の中を見回せば目当ての物はすぐに見つかった。やはり埃がうずたかく積もっていたが、明らかに己のものではない鮮やかな色使いはかつての居候のものだ。その前に跪いてざっくりと埃を払う。蓋の片隅に描かれた意匠は竜胆の花と竜を組み合わせた懐かしいもので、本当は、これほど放置される予定ではなかったのだろうとは思う。自分でもこれほど目を背け続けてしまうことになるとは思っていなかった。
 逸る心を抑えてゆっくり蓋を開ければ中に収められていたのは一枚の大きな絵皿だった。少し歪んだ円の中で青い空を黒竜が悠然と翔けている。
「ああ、それここにあったんだね」
 後ろからかけられた声に反射的に肩が跳ねる。
「……知ってるのか?」
「だいぶ前にこういう皿を作りたいから焼ける窯を紹介してくれって頼まれたことがね、あるんだ」
 君のためだろうとわかっていたけど、話も特に聞かないからどうしたのかと思っていたよと言われて、脳裏にいたずらが成功した時の「驚いたか」という声が蘇る。
「――驚いた」
 本人がここにいたころには決して素直には言ってやらなかった言葉がするりと滑り落ちた。背後から小さく笑い声が聞こえて振り仰ごうと思った頭はそっと添えられた掌で遮られる。
「僕は、こういう驚きを鶴さんがもたらすときに共犯者に巻き込まれる方でね」
「ああ」
 いつだって自分は悪巧みをする二人を蚊帳の外で見ていた。普段は気にしなかった歳の差や付き合いの長さの違いを見るようだったことを覚えている。
「だからずっと君が羨ましかった」
 やわらかな声の調子にきっといつもだったら騙されていた。
「……ああ」
 どうにか声を絞り出すと同時に頬を熱いものが滑り落ちてぽたりと畳に落ちる。
 二日酔いで頭はがんがんに痛いし、胸焼けも気持ちも悪いし、頬を伝う感触もむず痒くて仕方がない。
 けれど、窓の外は快晴で、色鮮やかな花はたくさん咲いていて、どこからか鳥の声も聞こえてくる。

 最悪で、最高に美しい朝だった。

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何かがこじれる音を聞いたんだ。
そして大倶利伽羅と鶴丸が脳内で同居始めたっていったら書いてって言われたのでかいたらこうなった。
どうしてこうなった。

冒頭で歌ってる予定だった歌。
(借金返さなくて首切られるあそびうたっていうから)

Oranges and lemons,
Say the bells of St. Clement's.

You owe me five farthings,
Say the bells of St. Martin's.

When will you pay me?
Say the bells of Old Bailey.

When I grow rich,
Say the bells of Shoreditch.

When will that be?
Say the bells of Stepney.

I'm sure I don't know,
Says the great bell at Bow.

Here comes a candle to light you to bed,

Here comes a chopper to chop off your head.
(Nursery Rhyme :Oranges and lemons)

  • 2015/05/27 (水)
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タグ:[大倶利伽羅][鶴丸国永][燭台切光忠]

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