作品
nest(現パロ)
少し前のテレビドラマや小説の描写を見るに、今はほんとうにいい時代だと思うことがある、と暗い部屋の中で唯一あかるい光を放つ掌の中の薄い板をぎゅうと握りしめた。
声を聞けなくとも、姿を見せることがなくとも、とりあえず回線の向こうで相手が生きていることを知ることができる。こちらの様子を隠そうと思えばいくらでも隠し通すことができる。
文字は、嘘をつける。
けれど心はもうずっと限界を訴えていた。
§
育て親である鶴丸国永の行方が知れないという報せを持ってきたのは大倶利伽羅にとっては意外な人物だった。
「は?」
思いもよらぬ報せと、別のところで知り合ったはずの相手が親と何かしらの繋がりがあるらしいことのどちらにも驚かされてただ呆然としていれば、その当人である燭台切光忠に大丈夫かと顔を覗きこまれた。
「な……んで」
肩にかけた商売道具が入った鞄を落とさないようにぎゅうと抱き込んで相手を見上げれば、よほどひどい顔をしていたのか落ち着けというかわりのように軽く腕を叩かれる。
「鶴さんがどうしてっていうことなら、僕は殆ど何も知らない。個人的に連絡を取る相手ではないから。ただ、どうして僕がっていうなら、僕の兄が鶴さんと同級でね。同じ高校で一緒に馬鹿をやってつるんでたって聞いてる」
「……知らなかった」
大倶利伽羅を引き取ってくれた時にはすでに鶴丸国永は大学も出た後だった。そもそも、大倶利伽羅は育て親である鶴丸国永について知っていることは少ない。極稀に語られる過去の断片は本当に断片でしかなく、親兄弟について聞いたことはなく、かろうじて学生時代が悪くなかったものだということは知っていた。家から出られないどころか、鶴丸国永の傍を離れることの出来なかったころの大倶利伽羅に好きなだけ籠もっていいと言いながらも楽しかったと話す内容は概ね学校に在籍していたころのことだったからだ。怖いものを思い出しては震える大倶利伽羅を躊躇いなく抱きしめて、その腕の中は安全だと根気よく教え続けてくれたのは間違いなく鶴丸国永だった。
「僕もついさっきまで君が鶴さんの『うちのこ』だって知らなかったよ」
「うちのこ……」
直接聞いたことはないはずなのに、そのイントネーションまで含めて完全に再生される気がするのは似たような言葉をさんざんかけられたからだ。
「君が家を出てから、週末うちの実家にきては兄さんに延々自慢話をしてお酒を飲み尽くしては帰っていくから、帰省の際に遭遇してね。飲み尽くす分、手土産としていい酒をくれるのでよくご相伴にあずかりました」
ごちそうさまですと頭を下げられて、なんとなくこちらこそ、と下げ返してしまう。
大学への進学のために家を出てからすでに十年ほど経っている。これ以上は傍にいられないと自覚して、どうにか理由をでっち上げて離れた場所に進学して、その先で職を探した。結局は大学で学んだこととは全く関係のない職種についたものの、日々暮らしていくことはできている。燭台切光忠は大学のゼミの先輩で、今はそのまま大学に籍をおいていると聞いていた。だから、今日仕事で出向いた母校で遭遇しても驚かなかったのだ。
「行方、不明っていうのは」
「昨日いきなり代理人から連絡が来たって聞いてる。それで兄が慌てて場所だけは聞いていた鶴さんの家に向かったらもう何年も人が住んでる様子がなかったって」
話の途中ではあったが、それだけ聞けば十分だった。
「大倶利伽羅?」
「悪い、後で連絡する」
走って振り回してうっかり何処かへぶつけてしまうよりは預けてしまったほうが安全だと、握りしめていた肩紐を外して燭台切光忠に押し付けて、財布とスマートフォンがポケットにあることだけを確認して足を踏み出す。
ずっと覚えていた違和感を形にしてはいけないと思っていた。
何よりも安全で温かい腕の中を出て、居心地のいい巣を抜け出すことを決めたのは自分自身だったからだ。
昼前のこの時間は道路も意外と混むことはわかっていたから逸る心を抑えて手近な駅に飛び込んで、行き先だけは確かめて電車に乗る。乗換案内のアプリで最短で最速の経路を確認して、ところどころ走っては示されたものの一本前の電車を捕まえてとにかく急ぐ。
最後の駅を出てからは迷わずにタクシーを捕まえて目的地を告げる。本当なら車で移動するほどの距離ではないけれど、走るよりはよっぽど早い。
そうして辿り着いたのは朝に出てきたばかりの己の住まうアパートで、入口に並ぶ郵便受けの前で少しだけ悩んだがすぐにその脇を通り抜けて一回の一番奥へと向かった。表札に名前の掲示こそないものの鶴の絵が落書きしてあることだけを確認してドアに手をかければ思った通り、あっさりとドアノブが回って大倶利伽羅を中へと迎え入れた。
「鶴!」
――回線の向こうで嘘をつかれていることは知っていた。
§
己の名を呼びながら飛び込んできたいとしごの姿を見るのは嘘偽りなく十年ぶりのことだった。最後に見た時はまだ成長期が終わりきらない青年の線の細さが残っていたのだが、今はその面影は殆ど無い。大学の卒業式さえ日取りを知らせてもらえずに、後で一方的に封書で連絡が来た。同封されていた写真はどうしても見る気になれなくて友人に押し付けてその様子を語ってもらった。その弟がいとしごと大学で知り合っていたというのを知ったのは、その写真を友人の手元で保管してもらっていたからだった。なんという偶然だと友人と二人笑って、弟本人には黙っていた。
遅いと怒鳴るべきか、早かったなと褒めてやるべきか今回動こうと決めた何日か前からずっと考えていて、結局今もどちらも選べずにただ暗い部屋の中でひどい顔をしている男の顔を見上げる。僅かな灯りを反射して光る金色の瞳が爛々と輝いていて美しくてそっと伸ばした手は瞳に触る前に掴まれた。
「痩せたな、あんた」
「君が帰ってこなくなったからだ」
大学は遠いところへ行くと言われた時に、いとしごが家を出たら帰ってこないつもりだということはわかっていた。抱きしめて愛情を確認する必要のない年頃になったあとに、殊更に目線も合わなくなったこどもの内面を推し量れぬほど鈍くはなかった。どうにか目を背けようとしながらもこどもが持て余していた隠しきれぬ熱を平然と無視して囲い込んでいた腕を解いてやるしか鶴丸国永には出来ることはなく、帰省のない寂しさを紛らわすために酒を持って友人を訪ってはかわいかったこどものはなしをした。
「食事だってなんだって君が健やかに育つためだけに、必死で勉強してどうにか取り繕ってたんだ。君がいなければ意味が無い」
掴まれたままの指先にぎゅっと力が入る。怒っているなとはぼんやりと思うものの嘘偽りのない真実だから仕方がない。
「十年たっても君が帰ってこなかったら諦めようと思ってたんだ」
心の整頓をつけてしまえば律儀なこどもは帰ってくるだろうと考えていた。青年期に誰でもかかるはしかのような恋心であればひょいと姿を見せるだろうと。
けれど、こどもはほとんど連絡も寄越さないわりに、こちらが無意味にアプリケーションごしに入れるひとことやスタンプにはすかさず既読をつけて、でもリアクションはやはりないままだった。ところどころ、嘘を混ぜてもすべて読まれて終わりだった。
「あきら、める?」
わかりやすく震えた声が返って来て、それに深く安堵する。指先からこちらの熱も伝わればいいのにと握りこまれた掌から伝わる熱にじわじわと脳が侵されていく感覚に顔を綻ばせた。
「愛しているよ大倶利伽羅」
掴まれていない方の手でずっと握りしめていたスマートフォンを床に落として、丸く見開いた瞳にもう一度指を伸ばす。今度は阻まれなかったから震えるまつげをゆるりと触って頬へと手を滑らせ、首筋に指を当てて頸動脈が動く感触を探り当ててから、重い体をどうにか動かしてその胸に頭を擦り付けた。
むかし、不安を覚えたこどもにそんなに心配なら心音だけ聞けばいいと教えたそのままに今度は自分が目の前にいるこどもがまた消えてしまわなければいいと怯えているのを示すための動きだったことはさすがに伝わって、恐る恐る体に回された腕に力がこもるのをただ、待った。
くりつるワンドロお題:再会
http://drd.cute.bz/log/gallery.cgi?mode=view&id=1432828498
これのバックグラウンドのようなものだけどこれ以上のことは考えてない。
突発。
- 2015/06/01 (月)
- ワンドロ