作品
朝は来ない
真夜中は暗闇だ。
文明は夜中に真昼のような灯りをもたらしたというのだが、この山城は審神者の意向でこの建物が常用されていたというころのまま、夜は暗い。
火を使う灯りは万が一があったら洒落にならないからと、熱くはならない手燭は希望者はもらうことが出来るし、各建物に共用物として置いてはあるのだが、それこそ審神者がそうすればいいのだと思いあたったのが遅かったために大体のものが灯り無しで動くことに慣れてしまっていた。
部屋の中でつかうものはちらほらいるのだが、燭台切光忠はその詳しい内訳までは知らない。ただ夜目の利かない太刀や大太刀などが個々の部屋に持ち込んでることがおおく、共用物として灯りを置いておく棚は大体空っぽだった。
だから、真夜中に出会う刀が本当にその刀なのか燭台切光忠には判別がつかない。金色の片目は夜の闇の中で底光りするわりにはまるで役に立たないからだ。ただ彼のひとみがおなじような金色を持つことだけは知っていた。
§
彼はたいてい、何をするでもなく回廊に転がっている。昼の装いと違って濃紺の単一枚であるためにたやすく闇に紛れてしまうから、気をつけていないとわからずに踏んでしまう。というか、燭台切光忠は彼を踏んだことがある。直後、庭へ蹴り飛ばされ、池に落とされた。本体を携えていなくてよかったと心底思った。
「こんばんは」
ふらりと夜に三の丸をうろついても彼に会える頻度はさして高くない。数少ない邂逅の条件をあわせて類推した結果、まず月のない夜である必要があることがわかった程度だ。時間帯もまちまちだから、燭台切光忠も今はもう気が向いたときだけ厨で手土産を見繕って訪うことにしていた。不思議なもので、探さなくなってからのほうがよく遭遇するようになったし、なんとはなしに彼が夜の闇の中に身を浸しに来る時機を推し量れるようになった。
「よっ」
軽い調子の返答が来て彼が眠っていないことを知る。けれど彼は起き上がらないどころか、半分ほど回廊からはみでるような体勢だ。割った裾から白い脚がふらりと宙を掻いている。
「落ちないの、それ」
「さてなあ」
ひょうひょうとした声とともに脚と同じようにふらりと回廊の淵から泳いでいた腕がすっとこちらへとさしだされたので、意を汲んで引っ張り上げてやれば彼は素直に身体を起こした。金色のひとみがわずかばかりの光を弾いて煌めく。
胡座をかいたその刀の隣に手にしていた盆を置いて腰を下せば、くつくつと楽しそうな声が響いた。
「君はマメだなあ」
盆に乗っているのはぬるく燗をつけた酒と昼に作った芋羊羹の残りだ。今日の昼は戦場に出ていた彼が口にしていないことは知っていた。そういう時に彼と燭台切光忠の共通の古馴染みが気を払ってとっておくとかそういうことをしているのだとばかり思っていたこともあるのだが、彼らは意外と互いに気を使わないらしく、二振りのどちらにそれとなく話を振っても取り置いてもらったことはないという。
「そりゃあもう。また池には落ちたくないからね」
真夜中の、暗闇の中で水に沈むなど本当に二度としたくない。元はと言えば確かに足元不注意で彼を踏んだ自分が悪いのだが、池に突き落としてなお平然と詫びの品を要求されるとも思わなかった。
「なんだ、また踏むつもりなのか」
そう笑いを含んだ声で言いつつも彼は添えてある黒文字を躊躇いなく手に取り、黄緑色の直方体を割る。
さつまいもを蒸かして潰して再度固めただけの素朴な羊羹だが甘味に乏しいこの陣営では人気のおやつで、大皿で供せば供した分だけ消えてしまう。だからこういうふうにいくつも簡単にとって置けるのは作ったものの特権のようなものだ。その場にいなかった兄弟や友にとっておいてほしいとあらかじめ頼まれれば置いておくことはするが、基本的にはその場にいなければおしまいである。
だからこれは作為の結果であり、下心の結晶だ。
「まさか。だいたいだって踏みたくて踏んだわけじゃないよ。暗くて見えなかったんだ」
どうして暗いのに手燭もなく歩くのかと糾弾はされたが、そんなものはお互い様だ。回廊を横切るように寝転がっていた彼だって灯りは何一つ携えていなかった。あの夜に自分が何のために部屋の外に出たのかすらもう覚えてはいない。
「でも、またいつ踏んでしまうかはわからないからね。先にお供えをしておこうかと」
「――君はいつ池に落とされた詫びを要求してくるかと思っていたんだがな」
彼のその声には不思議と色が乗っておらず、せめて表情を目にしたいと思えども、どれだけ目を凝らしても世界は闇に沈んでおり、彼の顔を見ることはかなわなかった。
- 2015/06/28 (日)
- その他
タグ:[燭鶴]