作品
恋の花、落ちる
庭に咲かない花がたびたび風に吹かれておちている事に審神者が気づいたのは、冬のことだった。白い雪に埋め尽くされた庭に散る真っ赤な花弁は最初は血痕だと思って近寄ったのだ。
鮮やかな、酸素をたっぷりと含んだ、血。一度吐き出されてしまえばあとは酸化して黒ずむしかないいろ。
その印象は、ある意味では間違ってはいなかったと知ったのは、その花弁の出処を知ったときだった。
ふわふわと風に誘われるままに敷地内を彷徨くのは審神者の数少ない趣味の一つだ。だから、春先に二の丸の、日当たりのいい一角にたどり着いたのはただの偶然だった。回廊から赤い花弁を捨てている刀剣男士に行き当たったのも意図してのことではない。
けれど、自室の眼の前であるにもかかわらず、律儀に戦装束をまとったままの山姥切長義があまりにも青白い顔になったので悪いことをしたのだとは思った。
「ある、じ」
相手の悲壮さにそぐわず、血の気が引くというのはこういうことなのだなとぼんやりと考える。審神者からはもう人としてまっとうな感覚は失われて久しい。捨てている花が何なのか、どういう意味があるのかすらわからないのだけれど、知られること自体がきっとだめだったのだろう。
「ごめん、知られたくなかった?」
「できれば、そうだね」
山姥切長義は日頃の強さが何処かへ霧散したように疲れた顔で頷いた。
刀剣男士の体調は全て自動的にモニタリングされていて、負傷や疲労はアラートが出るから、目の前の彼は数値的にはなんともないはずなのに、少しでも対処を間違ったら折れてしまいそうだと感じる。それはきっと、人の形と肉を持って顕現されていても、彼らがもとは形を持たぬものであるからで、心が弱ったときに表に現れる影響がきっと強い。人の器を失って久しい、すでに時が止まってしまった幽霊である審神者とは、逆だ。
あるものをなくすのも、最初からないものを与えられるのも、きっと同じぐらい負担がある。
「――この花、前に見たときに何なのか気になって庭中を探してみたけど、咲いているところを見つけられなかったんだよね」
以前は、雪の中で主張が激しかった赤も、春を迎えた土の上ではそこまで目立たず、さして強くない風にはらはらと飛ばされていずこへと散っていく。
「知ってる?」
そう問いかければ、審神者が何も知らないことも追求する気もないことは伝わったのか、少しだけ顔色がましになった。
「答えたくない、かな」
知っているでも知らないでもない応えが答えだと示すのは山姥切長義の誠実だ。審神者は差し出されたそれを素直に受け取って頷いた。
「ただ、花の形が、知りたかったの。全部、花びらだったから」
同じではないけれど、似たものを審神者は知っていたから懐かしかったのだ。
「それは――」
ごぼっと空気が漏れる音がした。
「山姥切長義?」
彼が体を折って、震えながら咳き込むごとにぼとぼとと真っ赤な花弁が落ちていく。何もかもを通り過ぎてしまう手は差し出す事はできず、知られたくはなかったと主張した山姥切長義のために、審神者はどこへも行かず、傍らにしゃがみこんだ。
こぼれ落ちる花弁は花の形を保ったものはなく、色と相まって吐血のあとにしか見えない。実際、これは彼の体を流れる血がこぼれだしたものなのだろうと思う。人のようでいて人ではない理屈を内包した存在だ。審神者の知らない仕組みがあってもおかしくはない。
彼の古馴染みであり隣人でもある南泉一文字は咳の音がうるさかったにもかかわらず、山姥切長義が気を失ってから部屋から出てきた。
審神者の姿に驚くこともなく、倒れている知己に顔色を変えることもなく、あたりに散らばる赤いかけらを踏みにじって近づくと、意識のない体を軽く抱き上げて山姥切長義の部屋へと運び入れる。
その手は慣れていた。
「気付いてたの?」
「声がした」
かわいらしいとからかわれるところを見かけたこともある語尾がつかない短い応えは端的で、わかりやすい。
「大丈夫なの?」
「折れはしねえよ」
丁寧に障子を閉めて、しゃがみこんだままだった審神者の傍らに座り込んだ。
「あれな、花吐き病っていうらしい」
「病気、なの? 呪いではなく?」
回廊に散らばったままの赤い花弁はかすかな風にふわふわと揺れている。
「俺も聞いただけだから詳しくはねえよ。片思いをこじらせるとかかるんだと」
あまりにも思いがけない話になって、審神者は告げられた内容を咀嚼するのに久々に時間をかけた。幽霊として長らえて久しいが、そんな奇病のことは初めて聞いた。
「ええと、治るの?」
「両思いになったら治るんだと。けど、それは何が両思いって判定するんだろうなぁ」
問いかけられて首を傾げる。あまりにもあやふやな話だ。感情はワクチンのように簡単に処方できるものではない。
「病気、なんだよね?」
片思いをこじらせたものしか発症しないなんてずいぶんと生きづらそうなウイルスだとは思う。
「さてなぁ。オレが見てたところ病とはいうが原理は誉桜とおんなじだ。己の中で収まりきらない、飲み下せない感情の拒否反応の発露が、花だ。自家中毒みたいなもんだ」
だからこれも放っておいたら消える、と赤い花弁を南泉一文字はつまみ上げては庭へと放る。
「じゃあこれは血だ」
「そうだな」
こじれてしまった片思いがあふれるのならばそれは恋のかけらに相違ないというのに、あまりにも儚くて脆くはないだろうか。それとも、病になってしまったからこそ体からこぼれてしまうのか。
けれど、血が流れつづけるのならば、きっとどこかに傷があってじくじくと痛み続けている。
初めて赤い花弁をみたのは雪の中だった。そのときには山姥切長義は恋という傷を抱えていたのだろう。
「南泉一文字は、知ってるんだね」
何を、とは問わなかったが、それだけでわかったのだろう。猫ではないけれど猫のような不思議な虹彩がきゅっと形を変える。
「あいつは治んねえよ。あいつの特効薬はあいつ自身が切って壊してしまった。それを誰よりも思い知ってるのはあいつだ」
オレには記憶は残ったが実感が残らなかった、と南泉一文字は言った。
花吐き病でも恋は死んだ。
山姥切長義
以前、南泉一文字から差し出された恋をいらないし持ち続けるな切らせてくれと言って斬って捨てた。
その後、恋を理解するも差し出す相手はすでに自分が切ったあとだった。
でも斬った事自体は後悔してないし、何度差し出されても斬り捨てる。
南泉一文字
以前、山姥切長義に恋を差し出したら切らせてくれって言われて、受け取ってもらえないなら自分の中にあってもなくても同じだなと思って了承した。
山姥切長義の恋を斬ってあげることはしない。
審神者
少女の幽霊。
本人の未練ではなく、妹の未練で彼女の夢として存在しているため存在強度はたかい(切られてもふつーに復活する)。
- 2019/07/23 (火)
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