作品
山姥切長義は犬がほしい
よし、という気合を入れる声が隣から聞こえてすぐに、廊下に面した方の襖が前触れもなしに開いた。誰だこいつをオレの部屋に出入り自由にしたやつはって思うも、まごうことなく設定したのはオレなので自業自得以外の何物でもない。そもそも当初は互いの部屋を行き来する理由は何もなかったんだがな。
「邪魔をするよ、南泉一文字」
来客であり隣人でもある古馴染みの山姥切長義は戦装束一式を省略することなく纏い、ちゃんと本体も手にしていて今日も相変わらず変な方向に気合が入っている。
一応、オレが気を散らされたくない作業をしているときには来ないとはいえ、このところ突撃回数と頻度が増えている気がする。多分暇なんだろうが、他の趣味の一つや二つ見つけたりしないだろうかとは思うものの、今現在頭を占めているものでいっぱいいっぱいなことは知っている。賢いはずなんだが、たまに妙なとこでぽんこつなシングルタスクなんだよな。
ちなみにどのへんがぽんこつって、せっかく気合い十分で来てるのに苦手な来客に衣桁の上に逃げていったうちの猫のはんぶんにふらっと寄っていってしまう所だと思う。
「猫殺しくん、煮干しをくれないか」
「文机」
視線をはんぶんに釘付けにしたままこちらに手だけよこすので、オレも口だけで答えた。
はんぶんをこの形にしたときには煮干しを食べる機能なんぞつけていなかったんだから、実装して部屋に常備してる時点でオレは相当譲歩している。
あと、最近、はんぶんは煮干し入れの開け方を覚えてしまったのでそろそろこいつに釣られなくなると思う。猫の姿をしているだけのホームオートメーションシステムのAIをまるで生きている動物のように構いたがる古馴染みが面白くてペット用の思考ルーチンをあれこれ足した分、謎の学習能力がついてしまったのは、少しだけ申し訳ないと思う。馬当番に対するやる気のなさからして、こいつが人間以外に反応するとは考えもしなかったのだ。
差し出されたままの手を眺めていたら、待っていてもいつまでも欲しいものがよこされないことに気付いた古馴染みは、ようやく当初の目的を思い出したのか慌てて姿勢を正した。
「それでね、南泉一文字」
ソファでだらけているオレの前に本体を置いて、跪坐する。
「はんぶんはかわいい猫だけれど、犬だっていいと思うんだ」
この口上で始まる話は正直言って聞き飽きた。空中投影している作業窓にちゃんとジャミングがかかっていることを確認して、後ろに追いやっていた一枚を最前に呼び出す。
懸命なプレゼンはしかし、あまり真新しい主張はなかった。
さすがに連日、二方向から聞かされ続けば仕様も固まる。決まっていないのは犬種と毛並みの色くらいだ。
主と古馴染みの間に生じている事情については本人たちからちゃんと聞いたわけではないけれど、どうして双方にどうにかしようと気持ちがあるにも関わらずこじれ続けているのかだけはよくわかった。
遠慮の塊というのはかくも面倒なものだったのかと実感してしまったので、外側についてはこちらで勝手に設定している。
「猫殺しくん? 聞いてないだろう」
「にゃー」
適当な相槌を返すと、ここまでと思ったのだろう。山姥切長義は置いた刀はそのままで、足を胡座に組み直した。本日の陳情の時間はこれで終わりだ。空気を読んだはんぶんが衣桁から降りてきて、先程は逃げたやつの膝に擦り寄る。首に巻くリボンをもらった恩のことは一応覚えているのか、過剰に構われなければ近い距離にあるのは構わないらしい。
「はんぶんの時は許可なんか取らなかったくせに」
「こいつは外では動かさねえからにゃー」
仮想空間に位置するこの城は個々に使えるリソースというのが大まかに決まっている。はんぶんはそのリソース内で作ってみたものだ。あらかじめまっぷたつの猫を傍に置くことで呪いの軽減にならないかという意図もあったが、そちらは特に効果はなかった。
「犬は」
「庭を散歩したいんだろぉ」
ぐっと口を閉じた古馴染みを横目に開いていた窓を指で弾いて、まとめて全部を消す。
それも小型犬ではなく、ある程度大きい犬がいいっていうのは最初から言っていたもんな。
オレはさして難しいことを要求しているわけではない。
「部屋の中だけならともかく、外を歩き回らせたいなら主の許可は必須、だ」
――オレはさして難しいことを要求しているわけではない、のだ。
ピアノ本丸。犬騒動の序盤。
- 2019/10/12 (土)
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