作品
道程
もうどれだけ歩きつづけているのかを覚えてはいない。昼も夜もないこの場では休憩といえば、物陰に隠れるようにして蹲って腰に下げた瓶の中身を一口飲むだけで、眠ることどころか、安らぐために目を閉じることさえもできない。朧気に理解していた人に似て人にあらざる体が頑健にできていることを、こうも思い知るようになるとは考えたこともなかった。その必要がないぐらい、あたたかで柔らかな人の手で守られていたのだ。
纏わりつく闇は重く、視界は狭い。足元は不安定で、気をつけていても数える気をなくすほどにすぐに転んでしまう。本当の人の膚ほど柔らかくはない表皮に擦り傷以上の傷はないが、掌にも膝にも落とせぬ汚れがこびりついて久しい。
『右前方、距離百、数は三』
ふわりと耳に届いた声に応えるかわりに左腰に手をやった。大小差したうちの、目をやらずとも吸い付くように掌に収まる柄を握りしめて、音を立てないように気をつけながら足元を蹴る。独りで複数に打ち克つには不意をうち、先手を取るしかないのだと短くもない彷徨で既に十分すぎるほど学んでいた。
『お疲れ様。いい報せと悪い報せのどちらから聞くか選んで』
刃にまとわりついた澱を払って鞘に収めたところで、再びふわりと耳元で声がした。
「悪いほう」
選ばせる時点でまだ余裕があるのだと知っているから、いつものように気構えのいる方を選ぶ。
『また百鬼が近づいてる』
「それで」
『少し、休めそうなところがあったよ』
案内しろと告げる前に、声の主がふっと半透明の姿を現した。伸ばされた指の先を確認して、歩きはじめれば彼は宙に浮いて後ろについてくる。ほのかに光を帯びた銀色を晒したままということは、今は周囲には何もないということなのだろうと、わずかに肩の力を抜く。
怪我というほどの怪我をまだ己が負わずにすんでいるのはまごうことなくこの男のおかげで、けれどそのために払われた犠牲は消して些少なものではなかった。
人に似て人ではない体は多少の傷や怪我をおっても動くことはできるが、決して人のように時間で治ることはない。足も手も細かい傷が増えてゆく中、じわじわと蓄積する疲労だけを時間でなだめすかして、それでも歩き続けているのはなんとしてでも帰らねばならぬ理由があるからだ。
腰に差した、掴めぬ柄の代わりにこのところずっと肩に巻いてある灰色の布を握りしめる。刀剣男士にとって装束もまた自身をかたどるものなれば、これがある限りはまだ、折れておらぬのだと知っていた。
けれど、腰に差した大小の、抜けぬ刀は鞘の中でどうなっているのかも、知っていた。
地獄めぐりの話。
かきたいとこだけかいた。
南泉一文字は女の子。
- 2019/11/09 (土)
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