作品
きょうもあしたもあさっても
「おはよう、猫殺しくん」
「ん」
目を覚ますと、いつも見慣れた古馴染みの不思議な色合いの虹彩が目に入る。
二振りで一つの暖かな布団で眠るようになってから、先に目を覚ますのは山姥切長義ではなく南泉一文字になった。最初は眠れていないのかと心配もしたのだが、そういうわけではなくてただあまり長くは眠らずに済むような体質ではないかと本刀がいう。あんなに寝起きが悪かったのにとは思うものの、ぐずぐずと眠れていなかった頃とは違って夜も深く眠っているようなのでさして心配しなくていいようだった。
山姥切長義自身は睡眠に関して困ったことが殆どなかったし、眠れない夜はそれこそ南泉一文字がいれば安眠を確約されていたようなものだったから、その安眠剤自身が不眠気味だったことに気付いていなかったのは片手落ちだったと反省した。刀剣男士の体は多少の不眠で使えなくなるようなものではないのだが、休みを取ることもなくずっと起きたままではやはり変調は来る。
一緒に眠ろうと提案したのは、あの時にぞっとするような冷たさになっていた南泉一文字が怖かったからだが、お互いの安眠が確保されるというのは嬉しい副次効果だったと思う。それに、一振りで眠って一振りで起きることを今まで特には意識したことがなかったのだが、おやすみとおはようを交わす相手がすぐ傍にいるのは存外に心地がよかった。
最近はもう夜に眠るとき以外は、部屋と部屋を隔てている襖も開けっ放しで二間の部屋のごとき暮らしである。互いに私物の少なさを揶揄もしたが、おかげで部屋を繋げたままでも特に支障がない。ただいまとおかえりのある生活もいいものだ。
「今日は?」
暖かな布団には目を覚ませばきっぱりと未練がなくなるので、転がったままの古馴染みを置き去りにして抜け出すとさっさと服を着替える。特に出陣の予定はないのだが、だいぶ暖かくなってきたとはいえまだまだ寒いので戦装束を身に着けた。夏のさなかには辛かったが今はむしろストールで覆われるのはありがたい。
「晴れるらしいから布団を干したいな」
「それならはしご借りてこねえとなぁ」
山姥切長義が抜け出してぽっかりあいた分寒いらしく、観念して南泉一文字も起き出した。のそのそと着替えるのは戦装束でも内番着でもなくもう少し季節に沿ったものだ。
何度か回廊で行き倒れて人の体は冷えすぎても動かなくなるのだと自分で気付いて、衣料部に融通してもらったという。
万屋で即時に手に入れることができるのは戦にまつわるものだけで、他は目録でえらんで数日に一回届く定期便だけであるため、突発的に必要になるものなどはある程度在庫を用意してあることは知っていたが、衣服もまたその対象であるのだとは寡聞にして知らなかった。大浴場の浴衣などはその衣料部の管轄なのだと言われてなるほどと首を傾げた。
厨に出入りするものたちと同じで、純然たる趣味で運営されているらしい。
一部、綿花から育てているのだと聞いたことは記憶から消しておきたい。刀剣男士は基本的にはずっと人とともにあったものたちだから、人の身を得た今、やってみたかったことをあれこれ試しているのだとわかってはいてもなかなか飲みきれないものがある。
夏の暑さに参っていた頃に南泉一文字がどこからか調達してきて、世話になった筵も誰かが作ったものなのだろうなと薄々は察してもいるが今のところは目を背けることにしていた。うかつになにかに興味を持ったら自分も同じ穴の狢になることは目に見えているからだ。暫くは日々の暮らしで手一杯だということにしたい。
朝のうちに南泉一文字が借りてきてくれたはしごで屋根の上に登り、二振り分の布団を干して、掛布や敷布などを纏めて洗い場に持っていって機械に任せる。乾燥まで全自動でやってくれるというのは画期的だったのだと機械全般をこよなく愛している陸奥守吉行が力説していたのを聞いたことがあるが、つまるところ初代のころはまず電源を取ることが難しくて、今のご時世に手で洗っていたのだと聞いて目眩がした。初代の主の話は所々で聞くことがあるのだが、刀剣男士たちよりも誰よりも初代の主がこの暮らしを満喫していたことには間違いがない。楽しく楽しく過ごして、そして、生涯を閉じた。
次にこの城を訪れて主となったのは、まったく同じ顔をしたものだったという。
この城において、取替がきくのは刀剣男士だけではないのだ。
§
何もかもを人の真似事をしているわけではないが、それでも大勢で暮らしていればそれなりに役割分担も秩序も生まれる。出陣がない日のほうが忙しいのではと息をつきながら自室へと戻ってきたら、部屋が大きな箱で埋まっていた。外側に書かれた文字で、中身の推察は簡単についたが問題はまったく覚えがないことだ。
思わず、一歩部屋を出て現在位置を確認したが、間違いなく自室だったし、隣室への襖も開かれたままだ。
鍵がかかるような作りの扉でもないから留守をしている間に誰かがこうして物を置いて行くことは簡単ではあるが、この城において新しいものを手に入れるというのはいささか手続きが面倒だし時間がかかる。初代の主の頃ほど鎖国状態ではないのだが、当初のないものは作ってしまおうという開拓者精神とも言えるものと、それぞれの凝り性が合わさった結果が今であって、このような大きな箱が気軽に運ばれてくるようなことは滅多に無いのだ。おそらく部屋に角材を積まれていたほうが動揺はしなかっただろう。
とりあえず、自身に心当たりがなければ原因はこの部屋でともに起居しているもう一振り以外にはないだろうと改めて中へと足を踏み入れる。
「猫殺しくん?」
古馴染みは部屋の奥で、取り込んだ布団に埋もれるようにして眠っていた。取り込んでから多少時間が経っているから既に暖かさのかけらも残っていないが、寒さによる気絶ではなくただ眠っているだけのようなので、無理に起こさずに傍らにすとんと座り込む。
既に日は落ちていて、段々と空気は冷え込んできている。今からこの大きな箱を開けていくのは重労働だ。箱の外書きを信用するならば、たしかに今日からでも使えるなら使ってみたいが、そのためにはおそらく睡眠時間を犠牲にしなければならず、本末転倒でしかない。
とりあえず、何を思って二振りが並んで転がっても十分に余裕があるような大きさの寝台一式をこの古馴染みが導入しようとしたのかは後で問うてみようと考えながら、すやすやと寝息を立てる彼の隣にどうにか寝転ぶ。たたまれたままの狭い布団の上で寄り添えば冷え切ってない体は温かくてあっという間に眠気が訪れた。
狭かろうが広かろうが、山姥切長義は隣に南泉一文字がいればそれだけで十分なのだ。
床下組
- 2020/05/13 (水)
- その他
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