作品
天使も踏むを恐れるところ
日向正宗が鍛刀されたという報せを対の屋の厨にいた山姥切長義のところまで持ってきたのは、骨喰藤四郎だった。
「そう」
返事がそっけなくなったのは、ちょうどグラニュー糖にはちみつを混ぜて鍋で加熱してるところだったからだ。砂糖は焦げ付きやすいから目も手も離せず、聞かされた報せは一度耳を素通りして、特に感慨を覚えることもなかった。
新しい刀剣男士が来ることは、最近はそうそう頻繁にあることではないがそれでも珍しいというほどでもない。とはいえ山姥切長義自身も昨年の十一月にこの城へと顕現されたばかりで、今までは一番の新入りだったからこうした報せがどういう風に告知されるのかはよくわかっていないままだ。ただ、これまでにあったなにかしらの報せはすべて彼の兄弟であり山姥切長義の古馴染でもある鯰尾藤四郎が持ってきていた。気を遣われているのかとたずねたこともあったが、ただの仕事だと返されたことは記憶に新しい。
だとしたら、通信端末にはすでに通知が来ているのかもしれないなと思うも、いつも通り厨には持ってきていないため確かめることは出来なかった。
通信端末は緊急の報せを通知することもあるのだからいつも携帯しろと言われるのだとわかってはいるのだが、少なくとも厨では邪魔にしかならなくてつい部屋に置き去りにしてしまう。
「喜ばないのか?」
骨喰藤四郎に不思議そうに首を傾げられて、つられて山姥切長義も首を傾げる。
「新しい刀剣男士が顕現されるのは喜ばしいと思うけれど」
それ以上の感慨は特にはない。
今現在、期間限定で実施されている限定解除の鍛刀は半月ほど行われる予定だと聞いていた。対象の刀剣男士は日向正宗と大般若長光で、この城に顕現していないのは前者だけだ。資源運用がうまいとはいえない主がここで狙うか、年始の報奨で貰うかを悩んでいたのは知っている。
それがどうして自分が喜ぶことにつながるのだろうかと考えながら、ほどよく色づいて仕上がったカラメルにあらかじめ量っておいた胡麻をざらざらと投入したところでようやく理由を思い出した。
「あ」
とっさに骨喰藤四郎を振り返るも、鍋の中で山になったまま固まってしまいそうな胡麻を放置も出来ず、すぐに視線を手元へと戻してヘラで崩していく。火に熱された胡麻特有の香ばしい匂いがあたりを漂い始めたが堪能するどころではない。とはいえ気が急いても出来上がりが早くなるわけでもなく、カラメルと胡麻がきれいに混ざりあったところで火から下ろしてあらかじめ用意しておいたクッキングペーパーへと広げ、平らになるように整える。あとは粗熱を取ったところで切り分けるだけだと、使った鍋や道具はそのままにあらためて骨喰藤四郎に相対した。
「もしかして――」
「そうだ。南泉一文字になったそうだ」
律儀に待っていてくれた骨喰藤四郎がこくりと頷いた。
年末に主に呼ばれたときに、彼もいたから山姥切長義が南泉一文字を待っていたことは知られている。
喜ばないのか、という問いかけがじわじわと思考に染み込む。
次にいつ来ることがあるのかわからなかった南泉一文字が、年始の報奨によって顕現する可能性があると聞かされたときから、意識の一部がどこかふわふわと漂ったまま日々を過ごしている。途中で、初めて迎える年末の慌ただしさに巻き込まれはしたもののそれさえもどこか現実味がないまま終わってしまった。今日は、三が日も過ぎてどこか浮かれた気分を残しながらも通常通りの勤務体制に戻り、少し暇ができたので正月のごちそう食材の余りを使いはじめたところだった。胡麻とグラニュー糖とはちみつだけで作る簡素な菓子は中途半端に残った胡麻の風味が飛ぶ前にと選んだものだ。
「そう……か」
傍らにいなくなったと認識してからまだたった二月ほどの短い期間のうちに、ずいぶんと遠い存在になったものだと思う。
「そんなわけで十四日に引換所が開いたらすぐに迎えるつもりだそうだ」
明示された日付にくるりと厨の中を見回すも、面倒がって端末さえ持ってこないこの場所に日付がわかるようなものは何一つ置いていない。それでも往生際悪くきょろきょろとしていたら、今日は六日だと骨喰藤四郎が告げた。
「一週間後だな」
さくりと付け足された言葉に思いのほか動揺を覚えて、掌をぎゅうと握りしめる。
「早すぎないかな」
「そうか? 一刻でも早く会いたいかと」
「……そう、だね」
どうにか言葉を返したあと、なんといって骨喰藤四郎を見送ったのかは覚えていない。手元に残った胡麻のクッバイタはちゃんと切り分けられていたからきっとなんとか取り繕えていたのだろうと思う。端の不格好な欠片を取り上げて口に入れるとかりっとしたくちざわりとともにふわりと香ばしい匂いが立ち上った。
「これも、食べさせたいな」
自分に言い聞かせるように口に出してみる。
嘘ではない。この厨で作る試作品は基本的にはすべていつか来るだろう南泉一文字に食べさせるためのものだ。
けれどそれは、あくまで「いつか」のことだった。
もっとずっと遠いことだと思っていたから無邪気に待っているなどと思えたのだ。
言えるわけがなかった。
この期に及んで、会いたくないなどとは。
§
今日はぼんやりしているねと声をかけられて、泡立て器を握りしめていた山姥切長義は我に返った。
抱えていたボウルの中身は気づけばふわふわの生クリームを通り越して、黄色いぼそぼそとしたかたまりとどこからか染み出してきた水分とに分かれてしまっている。
何が起こったのかわからなくて、慌てて声をかけてくれた燭台切光忠へと差し出すとそんなに慌てなくても大丈夫だよと返ってきた。
「これはね、バターだよ」
「バター」
作っていたものはホイップクリームではと首を傾げるが、確かに色味はバターのようにも見える。どちらも牛乳から作られるものだということは知っていたが、たった今自分が生成してしまったものとどういう関連があるのかがわからない。
「お菓子作りしたことのあるうちの刀剣男士あるあるの失敗なんだよね」
僕も以前やったなあと言いながら燭台切光忠がてきぱきと新しいボウルにざると布を取り出して重ねていくのを見守っていたら、そっとボウルを取り上げられた。
「もう十分かなこれは」
ひとまぜしたあと、ヘラで生クリームだったものを手際よくまとめていき、用意したざるへ中身をあける。ぽたぽたと水分が落ちていくのをそのままに布の上に残った黄色い塊をくるりと包んで上からさらに重しを乗せた。
「しばらくこうして水分を濾します」
なぜかそのまま冷蔵庫へと仕舞われていく。バターは常温だと溶けていくからだろうかと思うもやけに楽しげな様子の燭台切光忠に改めて問うのも躊躇われて口を噤む。
「作りたてのバター、すごくおいしいんだよ。分離したのはバターミルク。このまま飲んでもいいけどせっかくだしスコーンを焼こうか」
わかっていたと言わんばかりに、調理台に置かれたままだった小麦粉を渡されて、指定された分量を量っていたら、その上にベーキングパウダーが足されたので、あわせて粛々とふるう。
おやつはあればあるだけ食べられていくためか、追加とはいえスコーンもかなりの量を作るようで、すべての粉がふるいにかけ終わる頃合いには燭台切光忠の手によって他の材料が用意されていた。牛乳だけは先程の生クリームの残骸からでてきた水分と混ぜ合わされている。
次はこれと差し出されたボウルにはバターと砂糖が既に入っていたが、バターは先程山姥切長義が作り出してしまったものではないようだった。
「さっきのバターは」
「できたてのバターは焼きたてのスコーンにあわせるので、作るときには使わないよ」
当然でしょうといわれてもスコーン自体がなんだかわからない。そもそも今、先にオーブンに入っているシフォンケーキだって食べたことがないのだ。
それでも燭台切光忠が作るお菓子がおいしくなかったことはないので、そういうものかと疑問は飲み込んでおとなしくバターと砂糖を混ぜ合わせ始めた。練って白くなったところに卵を足してさらに混ぜたあとは、先程ふるった粉を足していく。さくさくとした手触りが牛乳を加えていくことでどんどん粘りが出てどろりとした感触へと変わっていった。この状態でもすごくおいしそうに見えるのが不思議だ。一口くらいかじってみてもいいのではと考えたけれど、先程シフォンケーキの生地を混ぜていたときに生の小麦粉はおなかを壊すよと言われたばかりなことを思い出してかろうじてとどまった。
どうにかまとまった生地を打ち粉をはたいた調理台の上で伸ばして、渡されたグラスで抜いていく。
お菓子作りは材料を混ぜ合わせている間は何の匂いもしないけれど、オーブンで火を入れていくうちにふわりと甘さがあたりに溶け出してくるのが常なのに、今日は既に焼成されているシフォンケーキの甘い匂いがそこらじゅうに漂っていて、目の前の生地が余計においしそうに見える。
そうやって山姥切長義がスコーンにかかりきりになっているあいだに、燭台切光忠が焼き上がりを告げたオーブンからシフォンケーキを取り出して、型に入れたまま逆さまに並べていく。そうしないとふんわりと膨らんだ生地が自重で潰れていってしまうのだという。型から外すのもしっかりと冷めたあとでないと、やはり縮んでしまうらしい。
そこまで聞いて、やっとおかしなことに気付いた。
冷めるまで時間が掛かるというけれど、既におやつの時間は目前だ。予定外にスコーンを作り始めたのはシフォンケーキの焼成を始めたあとだから、山姥切長義がやらかしたことは関係ないと思っていたのだが、これはきっと違う。
「――俺がバターを作るって思っていた?」
「そうだよ」
いったでしょう、あるあるの失敗だってと燭台切光忠は笑った。
§
焼きたてのスコーンは確かにおいしかった。口の中でさくっと割れて、ほろっと溶けていく。作りたてのバターもしっとりと絡んでまた別の食感で魅了された。
バターの量には限りがあったので先着の何名かだけだったけれど、燭台切光忠の言うとおりよくある失敗らしく、おやつがスコーンだと判明した瞬間に冷蔵庫から山姥切長義が作ってしまったバターが引っ張り出されたのには驚いた。
今日のおやつ一番乗りの包丁藤四郎曰く、そもそもスコーンが焼かれるのはホイップクリームがうっかりバターになってしまった時だけなのだという。ありがちな失敗だけれども、全員がしでかすわけでもないから、今日のおやつがスコーンになるかどうかが賭けの対象になっていたことも教えてもらった。一部のおやつ好きたちの情熱はとどまるところを知らない。
山姥切長義もおやつは好きだが、いずれくるだろう古馴染に食べさせようと思わなければここまでのめり込まなかったという自覚はあった。とはいえおやつを作れるようにならなくてもすでに部屋は贈り物を詰めた箱で埋まっている。どれもこれも間違いなくあの古馴染のために見繕ったものだ。
差し出したものを突き返される心配はしていない。ただ、すんなり受け取ってもらえるとも思っていなかった。山姥切長義がかつて、南泉一文字から差し出されるものをただ受け取り続けたのは、その重さを知らなかったからだ。
美味しかった水を、暖かな毛布を、書き心地のいい筆を、ただ贈りたいと願うたびに昔自分が受け取ったものを思い起こして胸の底に重りが増えていくなんて知らなかった。
意図したことも意図しなかったことも、日々堆積する物の重さは同じで、贈り物の箱で埋まった隣室のように山姥切長義の中にはただ後悔が重く詰まっている。少しでも軽くしたいと深く息を吐き出してもちっとも楽にはならないけれど、区切りをつけて潜り込んでいた古馴染の部屋になる予定の隣室から抜け出した。
ことあるごとに自分が積み上げてしまった贈り物と向き合うためにこちらの部屋へと入り込んでいるせいで、この城へ来てからの二月ほどで自室よりも馴染みがある気がするとはいえ、こうして我が物顔で訪れることが出来るのもあとわずかな間のことだ。
きっと山姥切長義が我が物顔で出入りすることを南泉一文字はきっと許容する。それを享受できなくなったのは自分のほうだった。
丁寧に襖を閉めて、自分の部屋の前を通り過ぎて回廊をてくてくと歩く。
思考の行き先を見失ったときには、水を飲むに限ると決めていた。ただでさえ、ずっと待っていた古馴染が来る日が確定したと聞かされてから夜もあまり眠れていない。冷たい水は目を覚ますにもちょうどよかった。
地下から汲み上げているという清水はいつ飲んでも涼やかで心地がいい。不思議なことにいつだって一口で充足してしまうから多少不便でも厨まで来ることにしていたのだが、隣の部屋に住人が増える日はもうすぐそこだ。
彼が来たらこの対の屋で水を飲むのが己だけではなくなるのだからと、ずっと悩んでいた水差しを買うことにした。あらかじめ見当は付けていたので、出かけた先で改めて迷うことなく一つ選び取って贈り物用に包んで貰う。
万屋から帰還して箱を片手に隣室の襖の前に立って、いつものように入り込もうとしたけれど、なぜか襖にかけた手が止まった。ついさっきにだって我が物顔で居座っていたのは自分だったはずなのに、この心許なさは我がことながら不可解だ。腕の中に抱えた箱を見下ろしても答えはそこにはない。
結局、どうしても部屋に入り込めなくて、水差しの入った箱は自分の部屋に置くことにした。けれどもやがて贈るものを床には置けず、かといって長持ちに入れたり棚に入れたり出来る大きさでもなく、仕方なく文机に据える。これまでは隣の部屋にしまい込めばよかった箱は自分の部屋にあるだけで落ち着かない。
そのせいでもともと寝付きが悪くなっていたのに更に眠れなくなって、ふわふわとしているうちにあっという間に時が来た。
§
南泉一文字の顕現の場に立ち会うかと主から問われて悩んだけれど、やめることにした。寝不足でぼんやりしている状態は再会を喜ぶ前にあきれられそうだと思ったのだ。
当日の朝、本当にいいのかとわざわざ確認に来た鯰尾藤四郎はこちらの様子を一目見るなり、即座に布団に包もうとしてきた。
迎えに行くつもりはなかったけれど、この部屋でじっと案内されてくるのを待つのもいやで必死に抵抗した結果、玄関口で待つことを許されたけれど、どうにも落ち着かなくて、気付けばいつものように自分の厨にいた。
刀剣男士が顕現してすぐに食事することが可能なのはわかっている。自分が初日に燭台切光忠から芋まんじゅうをもらったように、かの古馴染になにか食べさせるなら初めては自分が作ったものがいい。おやつをあれこれと作り始めた頃は思っていたのだが、実際に彼が顕現すると聞かされてからはただぐるぐると考え込むだけでなんの用意もできていなかった。いろんなものを作ってみたし、大きな失敗らしき失敗は一度もしていないけれどどれもいまいちぴんとこない。
とりあえず、今は何か材料はあるのかと冷蔵庫を開けば、先日失敗したホイップクリームをもう一度作ってみようかと思って購入しておいた生クリームが目に入る。
集中力があまりない状態で行程が多い作業をしたり、オーブンを扱うのはやめた方がいいと思うだけの判断力は残っていた。今、自分がやっていいのはおそらく混ぜることだけだ。今目の前にある生クリームを混ぜて固めるだけの物がないかと、いつ鯰尾藤四郎から連絡が入るかわからないからと今日は携帯していた端末を引っ張り出してぽちぽちとレシピを探せば要望を満たした物はすぐに見つかった。もう一つの材料としてあげられていた板チョコもおやつの材料としてよく使うので常備してある。
必要な道具と材料を全部揃えて机上に置いていく。頭が回らないときはとにかく行程を減らすことが大事だ。板チョコを刻む行程も当然包丁などは使わない。包装紙のうえから砕くだけで十分簡単に溶ける大きさになることは以前試して実証済みだ。
生クリームの泡立ては、先日と違ってうまく泡だったところで止めることが出来た。燭台切光忠には二度目も失敗することはあまりないとは聞いてはいたものの、うまく出来るかとはまた別だと思っていたので胸をなで下ろす。一番の懸念があっという間に解消されたので、たたき割ったチョコレートを電子レンジにかけて溶かし、残りの生クリームと混ぜ合わせる。それをさらに泡立てた方の生クリームとよく混ぜ合わせればあとは小分けにして冷やすだけだ。並べておいた小さな器に均等になるように流し入れて冷蔵庫にしまい終えたところで時計を確認すれば、時間もほどよく過ぎていた。
思考ではなくて材料をぐるぐるとかき混ぜる作業は鎮静効果もあったのか、どこかすっきりとしている。
作業の邪魔になるからと傍らに置いていたストールや手袋などを元のように身につけて装いを整えてから、刀を携えて厨を出た。
脇差と打刀が起居する二の丸は、三の丸よりは鍛刀部屋のある一の丸から近いが、それでもそれなりに距離がある。一の丸から二の丸までの案内役を買って出てくれた鯰尾藤四郎からは何の連絡も来ていないうちにと、急いで玄関口へと向かった。
長い道のりを辿りながら、陽当たりのよさこそ折り紙付きではあるものの、やはり選んだ部屋の利便性は低いなと今更な反省をする。二の丸は広大すぎて、一概にどこが便利とも言いがたいのだが、食堂は城中の全員が集まってくるし、申請さえすれば自由に使うことの出来る多目的室がある一角もあるから玄関のあたりに住んでるものは少ない。山姥切長義に限らず、玄関から遠い部屋を使うものたちは概ね回廊から直接出入りするから大きな靴箱は殆ど空っぽだ。
上がり框に腰掛けて膝を抱える。靴は持ってこなかったから三和土には降りない。歩いている間に一の丸を出たという報せを受け取ってから、ますます体が重くなっているような気がした。
すこしだけ、と目を瞑って膝に頭を乗せる。どろどろとどこまでも沈んでいくような不思議な浮遊感があった。
さくさくと誰かが近づいてくる音がする。
「山姥切ー、おまたせー」
からっと引き戸が開いて顔を上げると、まず鯰尾藤四郎が、その後ろから南泉一文字が姿を見せた。金色のふわりとした髪に、不思議な色合いの光彩、拵えを意識したのだとわかる戦装束、その姿形は既に知っていたけど知らなかった。
「あ、ねこごろしく……」
意識が保てたのはそこまでだった。
§
目を覚ましたら私室の布団のなかだった。ここ最近ずっと混迷していたのが嘘のように何もかもがすっきりとしている。
このところずっと眠れていなかったしなと時間を確認すると、鯰尾藤四郎から一の丸を出たという連絡を貰ってからちょうど丸一日経っていた。ストールこそ衣桁にかけられているものの、身につけていた戦装束はそのままだ。
どうしたものかと部屋の中をくるりと見回すと、文机のうえに水差しを包んだ箱が目に入る。とりあえず水でも飲むかと、戦装束から着替えて部屋を出ようと襖を開けるところりと何かが部屋へと倒れてきた。
「おや、猫殺しくん」
立ったままひっくり返った古馴染を見下ろせば、なんとも言いがたそうに南泉一文字が顔を顰める。
「……うるせぇ。見知った顔でも、お前には会いたくなかったよ」
言われた、と思う。俺もだと応えるのは簡単だけど、ぐっと飲み込んで笑ってみせる。やっとちゃんと眠れた分、いくらでも弁が立ちそうだ。手を差し伸べて転がっているのを起こす。握った掌があまりにも冷たくてどれだけ外にいたのかと思う。
「へぇ、それはやっぱり斬ったものの格の差かな? わかるよ、猫と山姥ではね」
「そういう性格だからだ……にゃ! ……あぁ、そうか。お前も呪いを受けてたんだにゃ?」
猫を斬ったと人間が認識し、南泉一文字に付加されたものはあまりにも歪に表出した。大事に大事にされていたからこその、齟齬だ。
山姥切長義が受けた名は山姥切長義を歪めなかったのにふがいないことだと思うけれど、ものとはそういうものであると知っている。こうして人の形を得ていることを含めて何一つとして自身の思うままになることなどない。
「呪い? 悪いがそういうのとは無縁かな。なにせ、化け物も斬る刀だからね」
ふふんと胸を反らせば、はっと笑われる。
「猫斬ったオレがこうなったみたいに、化け物斬ったお前は心が化け物になったってこと……にゃ!」
「語尾が猫になったまま凄まれても……可愛いだけだよ」
会いたかったけど、会いたくなかった。歪められてしまった古馴染は確かに南泉一文字なのに違うものに思えてしまう。
人によって自分たちが変わっていくのだとわかっていたはずなのに、自分がすんなりと馴染みすぎただけだと今更のように知る。
手を伸ばして、冷え切ったままの腕を掴む。
確かなものなどどこにもないけど、とりあえず目の前には古馴染がいる。だから、見たくないものはすべて目を瞑ることにした。
「それよりも猫殺しくん。俺は待っていたんだよ」
隣室に詰め込んだ箱のどれから渡そうかなんて何一つ決めてない。あれはすべて古馴染に贈るもので、彼が受け取ったあとどうするかは山姥切長義が関与するところではない。
ただ、いつかすべての箱が空いたら、自分の部屋に置いた水差しを渡そうと思った。
きっと、その頃には水も口に合うだろう。
「Heri tibi, hodie mihi.(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13264455)」の補遺話。
作中のお菓子類の参考(何一つ自分では作ってないんですけど参考にしました)(手作りバターの参考にしたページをロストしてしまった……)
クッバイタ(クロッカンテ)
https://www.kurashiru.com/recipes/691aa664-ea20-4973-b1db-9500099f0e38
シフォンケーキ
https://tomiz.com/contents/chiffoncake
スコーンのレシピ
紅茶ハンドブック(監修 磯淵猛)1996年発行
https://www.amazon.co.jp/dp/4262156494/ref=cm_sw_r_tw_dp_3NYCTAH52SNT8FGTVQRK
チョコムース
https://delishkitchen.tv/recipes/133123243346231681
簡単にチョコを刻む方法
https://cookpad.com/recipe/2117756
- 2021/02/28 (日)
- その他
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