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インデペンデンスデイ
Happy Birthday!
ぽかりと深海から水面に浮かび上がるように周防尊が穏やかな眠りから目を覚ますと、ベッドサイドにもたれて座っていると思しき十束多々良の見慣れた後頭部が視界に入った。一定の間隔で揺れているところをみると、珍しくも気が緩んでいるらしい。左耳についた金属の輪がうまい具合に光を反射して、ふらふらと頭が揺れるたびにその輝きが刺すような鋭さで瞳孔に入り込んできて思わず目を逸らす。
部屋は薄明るくて、かろうじて夜ではないことはわかるものの朝なのか昼なのかもよくわからない。寝転がったままそっと感覚を研ぎ澄ませてみれば、階下はいつも以上に騒がしく、どたばたと騒いでいるというよりも何か模様替えとかそういう物を大きく動かすような作業をしている気配がする。階下のバーがそんなふうにごたごたすることはたまにあって、大抵はなんかしらの集まりに応じた貸切営業の時だということはさすがに知っていた。いつもは何をやらかしても多少の小言で勘弁してくれるバーのマスターであり、オーナーであり、古い付き合いの友人でもある草薙出雲が、そういう日だけは表から帰ってくるなと何度も念押しするからだ。だから大抵は外で飲み歩いてなるべく気にしなくてもいい明け方に帰ってくるようにしている。
しかし、いつもなら前日からしつこいほどいい含められるのに、昨日は何も言われた記憶はないし、日が高いのに叩き起こされてもいない。傍らで寝こけている十束がなにか言伝を預かっているのかもしれないとも思ったが、草薙が周防に絶対に言うことを聞かせたいことがあるときに十束を通すことはない。それに、店としての準備に追われているなら、ふらふらとしている印象が強いとはいえれっきとした階下の店員でもある十束を、決して労働力にはならない周防の傍においておくこともないはずだ。十束自身もどんなところでもほいほい寝てしまうとはいえ、労働を放棄してまでうたた寝することはない。
少しだけ考えてはみたものの特に思い当たることもなく、十束も寝ていることだし心置きなく二度寝を貪ろうと目を瞑ってから、かすかに漂う甘い香りに気づいて反射的に身を起こした。
「うおっ」
小さな頭は周防の大きな手では簡単に掴めてしまう。
「どうしてここにいる」
「いだだだだ! 何!? キング?」
暴れ出されてすぐに指先に込めた力は緩めたものの、十束が離れて行ってしまえば話題をごまかされることはわかっている。逃げ出せない程度には掴んだままで、先程のå問いをもう一度繰り返した。
「どうしてここにいる」
「どうしてって、いちゃいけないの?」
拗ねたような口調で頭にしがみついた指を剥がそうとするのは無視する。
「今日は来ないと言ったのはお前だ」
正確には「来れないと思う」と十束はいい、「ゆっくりしてきいや」と応えたのは草薙だ。周防は昨日の開店前に交わされた雇用者と被雇用者というよりも、保護者と被保護者のような二人の会話をカウンターで酒を飲みながら聞いていただけで、直接は加わってはいない。日付を確認して、なるほどと思ったぐらいだ。
「行ってきたんだろ、今日」
「……キング、ちゃんと聞いてたんだ? っていたい、いたいってば」
掌の下でまたも十束がじたばたと暴れるがもちろん離す気はない。
「十束」
「――行ってきた。朝一で区役所とあと裁判所。笑っちゃうほど簡単だった」
十束多々良は、今日、二月十四日に二十歳になった。
§
さすがにおとなしくなった十束が、すっかり落ち着いた口調で離してと言うので迷いはしたものの、掴むのをやめてただ掌を頭に乗せる。
いつもなら放っておいても好きなように喋る十束が迷うように言葉を選ぶのをじっと待つ。
数年前、十束の養父が死んだときのごたごたは、周防がかかわるまえに草薙がさっさと手配した弁護士があれこれ引き受けたのと、十束自身が喋りたがらなかったためにほとんど聞いていない。おおよそのことが収束した頃に、いつか時間を取って欲しいと言われ、その「いつか」については言及がなかったために記憶の片隅に引っかかっていたぐらいだ。
今がその「いつか」であるのだろう。十束は振り向かず、周防の掌を頭に載せたままかすかに首を傾げた。
「俺ね、捨てられた時のことも、拾われた時のこともあんま覚えてないんだ」
「……三才んときのことなんか俺も覚えてねえよ」
十束の来歴は一度だけ聞いたことがあった。本人があっけらかんと語ることに惑わされたが、他人のやることにはあまり興味を持たない周防ですらその一つ一つが顔をしかめるようなエピソードだった。
「あはは、そうだよね。でも俺はあの人の奥さんが出て行ったときのことも覚えてない。小学校はあがってたはずなんだ。何日もふたりともいなかったけど、給食があってよかったって思ったから」
冷蔵庫はあんまりものはいってなかったしねと十束が笑いながら膝を抱える。
「あの人が死んだ時にさ、草薙さんが紹介してくれた弁護士さんがあれこれ調べてくれたときにもね、まったく思い出せなかった。名前聞いても顔を見てもピンとこなくて……俺ってば薄情だよねえ」
それを薄情というのは何か違うのではないかと思うも、うまく言葉は見つからなくて周防はただ十束の頭を撫ぜた。
「養子縁組ってね、夫婦が離婚しても両方との縁が残るんだって、俺も知らなかったけどあの人の奥さんも知らなくて、最初に弁護士さんとこに連絡入ったときにすっごくののしられたみたい。でも、後見が必要っていっても俺は高校通ってたわけじゃないし、二十歳になったら他人に戻ることにして、後見自体は弁護士さんとこにお願いしてね」
「ああ」
「今日、離縁届だすためにこっちにきてもらってね、謝られたからなんも覚えてないから気にしないでって言ったら、あの人の奥さんが泣いたんだよね。捨てていくようなことをして悪かったっていうんだ。俺には本当にどうでもいいことなのに」
心底不思議そうにする十束に、その奥さんとやらの気持も何となく分かるとはさすがに言うのは控えた。その後の経緯はどうあれ、最初は純粋に引き取ったであろうこどもに形だけでも母とも呼ばれずまったくの他人として扱われて何も思わないような人間は、きっと最初からかわいそうなこどもに関わろうとはしない。
「あの人が死んだ時のことも、動転しててごめんなさいっていわれたけど、それが本心なのはわかるっていっても泣かれた。って、痛いよキング」
さらさらと語りながらも逃げようとする十束の頭を再び鷲掴む。
「わざとだろ」
十束は基本的に中庸だ。何もかもが基本的には気に障らないから、何もかもに平等に接するし、わざわざ人の感情を波立てることもないし、逆に抑える側に回ることのほうが多い。草薙が十束の好悪を判断基準のうちの一つに使うのは、十束が他人にちゃんと反応すること自体が珍しいからだ。敵意を返されても面倒だという言い分の元、人を言いくるめることを選択することも多く、攻撃性を持つほどの対応をするのは本当に滅多にないのだ。そのかわり、一度牙を向いたらどこまでも容赦なく言葉でえぐる。
十束は自分からは周防や草薙の――というよりも吠舞羅の面子の前ではそこまでしてみせることはないが、それでも耳に入ってくることはある。吠舞羅最弱の幹部という蔑称ではなく、その名を口にしてはならない毒としてひそかに噂される蛇の舌。相手の激情を引き出す時点で、十束の言葉には作為しかない。
「――薄情だって言われたことは恨んでないんだ。実際、俺は薄情だしね。泣かれたときにだって、あなたが先にそれを望んだんでしょう、って思った。だって俺にはどうでもよかった。記憶にもない親子の絆なんて知らない。あの時拾ってあげなかったらって言われても、その後に捨てたくせにどうしてそんなこと言えるの」
「言ったのか」
「言わなかった」
十束は頑なに振り向かない。周防の掌を頭に載せたまま、抱えた膝に顔を埋めてちいさくなって震えている。左耳のリングが小刻みに揺れて光を弾く。
「俺は何も言えなかったんだよ、キング」
暫く無言で頭を撫でていたら、くぐもった声でなんでって聞かないのと十束がいった。下手な誘導どころかいっそ珍しいほどのド直球に思わず口の端が緩む。
「なんで」
「アンナぐらいのこどもがいるんだって。いつだか見捨てた時の俺ぐらいで、実際にちゃんと、毎日、こどもと向き合ってたら、どうして、あの時見捨ててしまえたの、か、自分がわからないって、言われたんだ」
ところどころ詰まる声のことにはふれず、周防は、ただ、そうかと相槌を打つ。
「俺も、ちゃんと寂しかったって言えたら良かった」
「言わなかったのか」
「嘘なんかつけないもん。寂しいのも楽しいのも嬉しいのも悲しいのもちゃんとおぼえたのはキングに会ってからだよ。手にしたものをなくすのが怖いなんて初めて思った」
捨てられないからと、いろんなガラクタをバーHOMRAに持ち込んでは草薙を嘆かせているとは思えない発言に、これを聞かせたらあの小言は減るだろうかと思わず考える。
周防も草薙も、周防に逢う以前の十束を知らない。ふわふわとなんにも執着せずにいたというこどもを知らない。周防にとって十束は最初からキングと呼んでまとわりついてくる聞き分けの無いガキだった。寂しさも怖さも知らないまま笑うこどもじゃなかった。
「だからね、やっぱりあの人との養子縁組も解消することにした。遺産相続なんてあってないようなものだったし、他に親類とかいるわけじゃないんだけど、紙切れ一枚でしかつながれない絆は要らない」
「そうか」
「うん。死んだ人との離縁はね、あの人の奥さんとの間みたく簡単には行かなくて家庭裁判所に調停に行かなきゃいけないし、さすがに時間かかるみたいだから本当に一人になるまではもうちょっとかかるけど、一人じゃないから」
「ああ」
載せたままだった手で、乱暴に髪をかき混ぜれば、今度こそ十束は周防の脇から這うようにして離れていく。ぐしゃぐしゃになった髪を整えながら壁にすがって立ち上がり、ドアノブに手をかける。
「十束」
「なに?」
赤くなった目元は隠しながらも、十束はようやく振り返ってまっとうに周防に顔を向けた。さすがにあれこれ一気にぶちまけたのが気恥ずかしいのかどことなく拗ねた表情を浮かべている。
「誕生日おめでとう」
「――うん」
虚をつかれたようにぽかんとしていたのは一瞬で、すぐにくしゃりと顔がゆがむ。
「ありが、と」
目の淵に浮かんだ光るものは、指摘したら逆上されそうだったので見なかったことにした。
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