> discommunication
discommunication
without conversation
「おチビちゃん、悪いが部屋の隅を貸してくれないか」
 よれよれとしか形容できないありさまで、神宮寺レンが来栖翔の部屋のドアを叩いたのはまだ早朝といって差し支えのない時間のことだった。かろうじて起きてはいたものの、完全オフである今日ぐらい二度寝を貪ろうかと翔が横たわり直した瞬間のことだ。
 弱々しいノック音は聞いてしまえば無視も出来ず、眠さをこらえてドアを開けるとレンがいたのだ。
「は?」
 止めるまもなくするりと部屋に入り込んできた同窓生は、宣言通りに入り口から見えづらいベッドの影に身を潜めてしまう。
「どうしたんだよ、こんな朝っぱらからよれっとして」
 シャイニング事務所に所属が決まったものたちは皆、ほぼ例外なく学園ではなく事務所の寮へと居住を移した。レンの部屋ももちろん翔と同じ棟であり、こうやって早朝訪ねてくるのはさほど難しいことではない。何かから逃げてきたのだろうことと、その避難所に自分の部屋が選ばれる因果関係はさっぱりわからないものの、こうまで弱っている友人を叩き出すつもりはなかったが、事情を説明するわけでもなくただ膝を抱えて蹲るのを放置できる性格でもなかった。
「そういや、昨夜聖川が怒ってたぞ。約束の時間に遅れるだろうとは思ってたが、三時間も待たされるとはって」
 たしか、雑誌のインタビューの締め切りが今日だろ、と話を振るとびくりとレンの肩が揺れた。
 やはり原因は聖川真斗かと思わず顔をしかめる。財閥の御曹司という共通項を持つ二人はその特異な出自からか、出身地こそ違うもののかなり親しい幼馴染だったという。
「まさか今帰ってきたのか?」
 朝帰りの時間としてはおかしくはないが、流石に昨夜顔を合わせた時点で三時間待っていた真斗とっては許せる仕打ちではないだろう。
 しかし、翔の危惧に反してレンは顔を伏せたままもそもそと首を横に振った。
「じゃあ何時に帰ってきたんだよ」
 ベッドの上から威圧するように見下ろせば、普段の身長差では決して見ることのできないつむじが晒されている。柔らかな色素の薄い髪もどこかツヤがない。
「レン」
「……二十三時五十七分だよ」
 観念したように口を開くと、レンは顔だけ上げて、寝台に体をもたせかけた。ぎしりとスプリングが軋む音がする。
「それで、聖川に怒られたのか」
「あいつは怒らないよ。まっとうにインタビューされただけさ」
 じゃあなんでそんなによれよれになってんだよ、とは口に出来なかった。ただ、目の前の友人がひどく疲れていて、それを翔に対して隠そうとしないこの状況が口をつぐませた。こんなに弱り切ったレンには今まで見えたことがない。
「――何があったのかは知んねーけど、とりあえず俺は飯でも食ってくるよ。ゆっくりしていけばいい」
 これ以上は立ち入らないほうがいいだろうと勝手に判断して、翔は二度寝を捨てて寝台を降りた。

                  §

「来栖、おはよう」
 レンを部屋に残し、食堂に顔を出すと、待ち構えていたかのようにすぐに声がかかった。その相手がきちんと身支度をして、上着を手にしているところをみると、すぐ出かけるのだろうとたやすく予想はついた。インタビューの提出日は今日だと言っていたから編集部まで直接赴くのかもしれない。
「おはよ、聖川」
「俺はこのまま出るゆえ、部屋に戻ったら神宮寺を追い出してかまわぬ」
「……知ってたんだ?」
 はっきり言って、レンが己を頼ってくる理由などいくら考えてもわからない。元Sクラスのよしみといえども、今朝のレンは翔に対して弱みを晒しすぎていた。
「奴のやりそうなことぐらいわかる。仕事はきちんと行くだろうが、他の誘いはおそらく断っているから、来栖が邪魔じゃないならおいてやってくれても大丈夫だ」
「ん。わかった」
 もとより頼まれるまでもなくそのつもりだ。少し多めにパンを取って、あました分を手土産に部屋に帰ろうとさえ思っている。あの疲弊具合では、部屋の主である翔がいない間に気が抜けて寝てしまっている可能性もあるが、目覚めたときに何か口にできるものがあったほうがいいだろう。レンに不必要でもパンのひとつやふたつ、小腹が空けばすぐに消える。
「すまんな」
「いーって。気にすんな」
 悪いのはあいつだろ、と続けたにも関わらず、生真面目な友人は表情を崩すことなく首を横に振った。
「いや、いくらインタビューのためとはいえ、昨夜は少しやりすぎた。どうすれば神宮寺が乗ってくるのかぐらい知っているのだから、追い詰める必要はないことぐらいわかっていたと思ったのだが」
 会話の誘導ぐらいはたやすいのだという意図が透けて見える発言に、ぞくりと背中がふるえる。
「聖、川……?」
「神宮寺も俺相手でなければ気づいてかわすのだろうがな」
 見縊られたものだ、と彼は小さく吐き捨てた。
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