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Hello, little star
> 結局のところ、それは
結局のところ、それは
答えなど出したくない
最初は冗談じゃないと思ったはずの共同生活にも何とか慣れてきた六月のある日、神宮寺レンが部屋に帰ると床一面に色とりどりの布が広がっていた。それも、気の食わない同居人のためのスペースのみならず、全体に満遍なく、だ。邪魔になりそうな家具は部屋の片隅に寄せられていて、床は平坦に馴らされている。
「おい、聖川」
いくらなんでも領域侵犯にもほどがあると目を向けた先に佇んでいる同居人は、レンの机の傍で腕を組んで悩み事に没頭しており、こちらに気づく様子もない。戸口まで布が侵食しているせいで足を踏み入れることもできないまま待っていたら、やがて、何かを決めたように一人で頷いてようやく顔を上げた。
「ああ、おかえり、神宮寺」
普段は気にくわない相手に使う愛想はないと言わんばかりに素っ気ないが、部屋でこうして顔を合わせた際の挨拶だけはしっかりとよこす。その振る舞いに触れる度に、聖川財閥の跡取りとしてではなく、ただ身近な誰かに愛情を込めて育てられたのだろう躾の良さが垣間見えることに何とも形容し難い苛立ちを覚えて、レンはまともに返答したことはない。
十七年生きてきて、自分が怒りっぽい性格だと思ったことはない。むしろ、どちらかといえば鷹揚な方だと信じていた。何もかもを失ったような気分になった二年前からは、殊更に何もかもがどうでも良くなった。早乙女学園に入れられることになった時も面倒だと思っただけで反抗までは至らなかったのは、円城寺以外の誰もレンを顧みなかった家の中で、何かに対する期待はすでに摩耗しきっていたからだ。
幼い頃に一度は手にしたはずの小さな宝物すら、気がついたときには掌の中から消えていた。
「反物ばかり広げて、呉服屋でも開業するのかい?」
久々に顔を合わせたその時に、胸の奥をざらりとした苦い何かが撫でていったことはまだ昨日のことのように覚えている。ぐちゃぐちゃの、あえて名前も付けたくない感情がまだ自分の中に残っていたことに、驚いた。
蓋をして閉じ込めて見なかったことにするには、それはあまりにも根深くて、結局は持て余してただ放置している。
「まさか。いつものように持ってきてもらったのだが、広げる場所がないことを失念していた。すまない。すぐに片付ける」
お前が帰ってくる前に終わらせるつもりだったと言いながら時計に目をやって、同居人はようやく今の時間に気づいたらしい。
「もうこんな時間だったのか」
ぼけた発言に肩を竦めてみせると、素直に謝罪の言葉を吐いて広げた反物を手際良く畳み始めた。
「もしかして、終わるのを待っていてくれたのか」
「声はかけたぜ。ただ、誰かさんは何かに一生懸命で気づいてくれなかったようだがね」
何も言わずとも優先的にまずレンのスペースからものを引き上げて、移動させていた家具を手際よく再配置していく。まとめた反物はじゃまにならないよう隅においてあった箱に丁寧にしまわれた。幾つかベッドの上に残されているのが選んだものなのだろう。白地に赤い金魚が泳いでいるオーソドックスなものから、紺地に白く染め抜かれた流紋が映えるものまでバリエーションが広い。
「しかしずいぶんと可愛らしい柄ばかりだけれど、お前が着るのかい」
「まさか。真衣のために決まってるだろう。生地を見立てるのは毎年のことなんだが、今年は俺は家を出たからか真衣が拗ねていてな……」
困ったような口調ながらも浮かべる表情がどこか甘いのは、なんのかんの言いながらも歳の離れた妹を目に入れても痛くないほどかわいがっているからだと知っている。
「――下の子がそんな風に慕ってくれるのなんて今のうちだけなんだから、頻繁に帰ってやればいいじゃないか」
ぼんやりと何も考えずにこぼした言葉の意味を振り返ったのは、声をかけた相手に不思議そうに首をかしげられたからだ。
「お前、末っ子じゃなかったか?」
「一般論だよ、聖川」
どろどろの、抱え込み続けていることにも疲れて放棄してしまいたい記憶を、それでも後生大事に抱えている理由なんてとっくに自覚していた。
何も疑うことなく預けられた小さかった掌を覚えている。打算だらけの場所であったはずなのに、ただ一緒にいるだけで嬉しくて楽しかった幼馴染。
「すこしでも離れていると、子供はすぐに大きくなるぜ」
「神宮寺?」
何をしたわけでもないのに疲れきってた体を寝台に横たえれば、すぐに意識は闇に沈んだ。
だから、レンはそれ以上のことは関知しない。
どれだけ目を瞑ろうとしてもあるものからは逃げられないと知っているだけで、十分だった。
> discommunication
discommunication
without conversation
「おチビちゃん、悪いが部屋の隅を貸してくれないか」
よれよれとしか形容できないありさまで、神宮寺レンが来栖翔の部屋のドアを叩いたのはまだ早朝といって差し支えのない時間のことだった。かろうじて起きてはいたものの、完全オフである今日ぐらい二度寝を貪ろうかと翔が横たわり直した瞬間のことだ。
弱々しいノック音は聞いてしまえば無視も出来ず、眠さをこらえてドアを開けるとレンがいたのだ。
「は?」
止めるまもなくするりと部屋に入り込んできた同窓生は、宣言通りに入り口から見えづらいベッドの影に身を潜めてしまう。
「どうしたんだよ、こんな朝っぱらからよれっとして」
シャイニング事務所に所属が決まったものたちは皆、ほぼ例外なく学園ではなく事務所の寮へと居住を移した。レンの部屋ももちろん翔と同じ棟であり、こうやって早朝訪ねてくるのはさほど難しいことではない。何かから逃げてきたのだろうことと、その避難所に自分の部屋が選ばれる因果関係はさっぱりわからないものの、こうまで弱っている友人を叩き出すつもりはなかったが、事情を説明するわけでもなくただ膝を抱えて蹲るのを放置できる性格でもなかった。
「そういや、昨夜聖川が怒ってたぞ。約束の時間に遅れるだろうとは思ってたが、三時間も待たされるとはって」
たしか、雑誌のインタビューの締め切りが今日だろ、と話を振るとびくりとレンの肩が揺れた。
やはり原因は聖川真斗かと思わず顔をしかめる。財閥の御曹司という共通項を持つ二人はその特異な出自からか、出身地こそ違うもののかなり親しい幼馴染だったという。
「まさか今帰ってきたのか?」
朝帰りの時間としてはおかしくはないが、流石に昨夜顔を合わせた時点で三時間待っていた真斗とっては許せる仕打ちではないだろう。
しかし、翔の危惧に反してレンは顔を伏せたままもそもそと首を横に振った。
「じゃあ何時に帰ってきたんだよ」
ベッドの上から威圧するように見下ろせば、普段の身長差では決して見ることのできないつむじが晒されている。柔らかな色素の薄い髪もどこかツヤがない。
「レン」
「……二十三時五十七分だよ」
観念したように口を開くと、レンは顔だけ上げて、寝台に体をもたせかけた。ぎしりとスプリングが軋む音がする。
「それで、聖川に怒られたのか」
「あいつは怒らないよ。まっとうにインタビューされただけさ」
じゃあなんでそんなによれよれになってんだよ、とは口に出来なかった。ただ、目の前の友人がひどく疲れていて、それを翔に対して隠そうとしないこの状況が口をつぐませた。こんなに弱り切ったレンには今まで見えたことがない。
「――何があったのかは知んねーけど、とりあえず俺は飯でも食ってくるよ。ゆっくりしていけばいい」
これ以上は立ち入らないほうがいいだろうと勝手に判断して、翔は二度寝を捨てて寝台を降りた。
§
「来栖、おはよう」
レンを部屋に残し、食堂に顔を出すと、待ち構えていたかのようにすぐに声がかかった。その相手がきちんと身支度をして、上着を手にしているところをみると、すぐ出かけるのだろうとたやすく予想はついた。インタビューの提出日は今日だと言っていたから編集部まで直接赴くのかもしれない。
「おはよ、聖川」
「俺はこのまま出るゆえ、部屋に戻ったら神宮寺を追い出してかまわぬ」
「……知ってたんだ?」
はっきり言って、レンが己を頼ってくる理由などいくら考えてもわからない。元Sクラスのよしみといえども、今朝のレンは翔に対して弱みを晒しすぎていた。
「奴のやりそうなことぐらいわかる。仕事はきちんと行くだろうが、他の誘いはおそらく断っているから、来栖が邪魔じゃないならおいてやってくれても大丈夫だ」
「ん。わかった」
もとより頼まれるまでもなくそのつもりだ。少し多めにパンを取って、あました分を手土産に部屋に帰ろうとさえ思っている。あの疲弊具合では、部屋の主である翔がいない間に気が抜けて寝てしまっている可能性もあるが、目覚めたときに何か口にできるものがあったほうがいいだろう。レンに不必要でもパンのひとつやふたつ、小腹が空けばすぐに消える。
「すまんな」
「いーって。気にすんな」
悪いのはあいつだろ、と続けたにも関わらず、生真面目な友人は表情を崩すことなく首を横に振った。
「いや、いくらインタビューのためとはいえ、昨夜は少しやりすぎた。どうすれば神宮寺が乗ってくるのかぐらい知っているのだから、追い詰める必要はないことぐらいわかっていたと思ったのだが」
会話の誘導ぐらいはたやすいのだという意図が透けて見える発言に、ぞくりと背中がふるえる。
「聖、川……?」
「神宮寺も俺相手でなければ気づいてかわすのだろうがな」
見縊られたものだ、と彼は小さく吐き捨てた。
> SIGHT OUT
SIGHT OUT
外野の意見
■sight out
1.来栖翔
レンについて?
あー、面倒見いいよな、あいつ。
いつも女の子たち侍らせてるし、口を開くと「レディ」ばっかだけどさ、意外と男にもマメなんだよ。っていうか、人に対して言葉を惜しまないんだろうな。ふざけた口の利き方もするけど、そう見えるように振舞ってるんだろうなって思う時がある。空気読むのもうまいし。
そうそう。前に、トキヤと三人でユニットを組んで歌う実習があったときに、歌の解釈をめぐって俺とトキヤがケンカしたんだ。その時のレンは喧々諤々の俺らをただ眺めてるだけで、自分の意見すら言わなくてさあ。ケンカの最中は腹がたったんだけど、あとから冷静に考えてみれば、レンまで感情的になってたら絶対収拾つかなかったんだよな。あいつスゲーよ。
だから、末っ子って聞いて意外だったぜ。偏見なのはわかってるけど、末っ子ってもっとわがまま放題なイメージがあったからさ。
え、聖川についても?
聖川はなあ……いいやつなんだけどな。勉強熱心だし向上心もあるし。でもどっかずれてんだよなあ。ああいうのを天然っていうんだろうな。
悪気がねえのはわかるけど、なんかしょうもないことで敵作ってる気がするぜ。
「おチビちゃん、悪いが部屋の隅を貸してくれないか」
まだ早朝といって差し支えのない時間にもたらされた控えめなノック音に部屋の主である来栖翔が気づくことができたのは、おそらく僥倖だっただろう。昨日設定したままの目覚ましに叩き起こされたものの、久しぶりの完全オフの日にこれほど早く起きるつもりはなく、それでも一度目がさめたので軽く何かを食べるか、牛乳を飲むだけにするか迷っているところだったのだ。リビングでぼんやり立ち尽くしていたからこそ、玄関からのかすかな音を聞き取れた。
普段から、翔の部屋を訪うものは少なくない。その上、寮の建物そのものに入るためのセキュリティの頑丈さには絶大な信頼を置いているので、誰何もせずに扉を開ければ、予想だにしなかった顔がそこにあった。
「は?」
よれよれとしか形容できないようなありさまの神宮寺レンは、起き抜けでまだぼんやりしている翔の脇をするりと抜けて部屋へと入り込んだ。部屋こそ違うとはいえ、同じ建物の同じフロア、同じ間取りは勝手を知られていて、予期せぬ来訪者は迷うことなく寝室へと歩を進め、ドアのすぐ脇の壁に身を預けた。誰かが部屋に入ってきても、ドアの影となってすぐは気付かれない場所だ。
まるで、何かから逃げてきたようだ、と翔は思う。
レンがこうして早朝から翔の部屋へと訪うこと自体はさほど難しいことではない。
早乙女学園を卒業し、シャイニング事務所に所属が決まったものたちは皆、ほぼ例外なく学園ではなく事務所の寮へと居住を移した。学園寮と違うことは、一人一部屋が与えられていることであり、その部屋の規模も二人一部屋だったころとは違い、1人で住むのはもったいないと感じる程に広々としたメゾネットだ。かわりに、部屋のレイアウトは画一的で各戸は同じ作りをしている。
「どうしたんだよ、こんな朝っぱからからよれっとして」
二つ年上の同級生はゆるく着崩しているこそ多いものの、くたびれたという形容からは程遠い格好でいる事が殆どだ。騒動の尽きない学園生活時も、周囲がずたぼろでも何時の間にか一人だけ身だしなみを整えていた。
「レン?」
何かから逃げてきたのだろうことと、その避難所に自分の部屋が選ばれる因果関係はさっぱりわからないものの、こうまで弱っている友人を叩き出すつもりはなかったが、事情を説明するわけでもなくただ膝を抱えて蹲るのを放置できる性格でもなかった。
「そういや、昨夜聖川が怒ってたぞ。約束の時間に遅れるだろうとは思ってたが、三時間も待たされるとはって」
たしか、雑誌のインタビューの締め切りが今日だろ、と話を振るとびくりとレンの肩が揺れた。
やはり原因は聖川真斗かと思わず顔をしかめる。財閥の御曹司という共通項を持つ二人はその特異な出自からか、出身地こそ違うもののかなり親しい幼馴染だったというが、今はなんだかよくわからない緊張感と馴れ馴れしさが二人の間にある。
「まさか、今帰ってきたのか?」
朝帰りの時間としてはおかしくはないが、流石に昨夜九時に顔を合わせた時点で三時間待っていた真斗にとっては許せる仕打ちではないだろう。
しかし、翔の危惧に反してレンは顔を伏せたままもそもそと首を横に振った。
「じゃあ何時に帰ってきたんだよ」
上から威圧するように見下ろせば、普段の身長差では決して見ることのできないつむじが晒されている。柔らかな色素の薄い髪もどこかツヤがない。
「レン」
「……二十三時五十七分だよ」
顔を伏せたまま、ぼそぼそとようやく声が聞こえてきた。
「それで、聖川に怒られたのか」
「あいつは怒らないよ。まっとうにインタビューされただけさ」
じゃあなんでそんなによれよれになってんだよ、とは口に出来なかった。ただ、目の前の友人がひどく疲れていて、それを翔に対して隠そうとしないこの状況が口をつぐませた。こんなに弱り切ったレンには今まで見えたことがない。
「――何があったのかは知んねーけど、とりあえず俺は飯を食ってくるよ。ゆっくりしていけばいい」
これ以上は立ち入らないほうがいいだろうと勝手に判断して、翔は二度寝を捨てて部屋を出た。
§
「来栖、おはよう」
レンを部屋に残し、食堂に顔を出すと、待ち構えていたかのようにすぐに声がかかった。その相手がきちんと身支度をして、上着を手にしているところをみると、すぐ出かけるのだろうとたやすく予想はついた。インタビューの提出日は今日だと言っていたから編集部まで直接赴くのかもしれない。正式なデビューのあとであればマネージャーなどが手を回してくれるのだろうが、現状では何もかもを己でやらなければならないのだ。
「おはよ、聖川」
聖川真斗は、早乙女学園ではクラスこそ別だったもののラジオ実習を一緒にこなした関係でわりと親しい方だ。
「俺はこのまま出るゆえ、部屋に戻ったら神宮寺を追い出してかまわぬ」
「……知ってたんだ?」
はっきり言って、翔にはレンが己を頼ってくる理由がいくら考えてもわからない。元Sクラスのよしみといえども、今朝のレンは翔に対して弱みを晒しすぎていた。なつかない野生動物が手から餌を食べた時の嬉しさよりも、戸惑いのほうが大きかったというのに、真斗は躊躇うことなく翔に声をかけてきた。食堂内には翔の他にも元Sクラスの同級生が何人かいる。既に声をかけた後だとは思わなかったのは、誰も真斗を気にかけているふうな様子がなかったからだ。
「奴のやりそうなことぐらいわかる。仕事があるならきちんと行くだろうが、他の誘いはおそらく断っているから、来栖が邪魔じゃないならおいてやってくれても大丈夫だ」
「ん。わかった」
もとより頼まれるまでもなくそのつもりだ。少し多めにパンを取って、あました分を手土産に部屋に帰ろうとさえ思っている。あの疲弊具合では、部屋の主である翔がいない間に気が抜けて寝てしまっている可能性もあるが、目覚めたときに何か口にできるものがあったほうがいいだろう。もし、断られてもパンのひとつやふたつ、小腹が空けばすぐに消える。
「すまんな」
「いーって。気にすんな」
悪いのはあいつだろ、と続けたにも関わらず、生真面目な友人は表情を崩すことなく首を横に振った。
「いや、いくらインタビューのためとはいえ、昨夜は少しやりすぎた。どうすれば神宮寺が乗ってくるのかぐらい知っているのだから、追い詰める必要はないことぐらいわかっていたはずなのだが」
恣意的な会話の誘導ぐらいはたやすいという意図が透けて見える発言に、ぞくりと背中がふるえる。
「聖、川……?」
「神宮寺も俺相手でなければ気づいてかわすのだろうがな」
見縊られたものだ、と彼は小さく吐き捨てた。
それは、先程のレンと同じように、翔が見たことのなかった真斗だった。
2.一ノ瀬トキヤ
レンについてですか?
こういう形容が正しいかはわかりませんが、大人だと思います。そして私と年がひとつしか違わないはずなのに、すごく視野が広いですね。それから視点がとても俯瞰的です。人が複数集まって騒いでいるようなときに中心にいそうなのに、一歩引いたところにいることも多いですね。あれは、レンなりの社交術なのでしょう。余計なところに踏み込まない代わりに、踏み込ませない。
あれで、人に勝手なあだなをつけるとこさえ改めてくれればいいんですが……いえ、なんでもありません。
そうそう、まれにあなた馬鹿ですかといいたくなるときもあります。主に、聖川さんと反目してらっしゃる時ですが。
聖川さんのこともですか?
同じクラスだったわけではないので、とても親しいというわけではありませんが強いて言うなら自炊仲間です。Aクラスの中では比較的話が通じる方ですね。音也は人の話を聞きませんし、四ノ宮さんはああですから。
とはいえ、思い込みで突っ走ることも多いのでそうなると止めるのが大変です。行動力がおありなので放置するととんでもないことになりますしね。
「翔? どうかしたんですか?」
珍しく食堂で朝食をとっていた一ノ瀬トキヤは、眠そうな同級生が聖川真斗と何事か会話をしたあとに、中に入ってくるわけではなくかといって外に出て行く様子もないことに疑問を覚えて、食器を片付けるついでに近寄った。
「ああ、トキヤ。おはよ」
翔がまるで、たった今夢から醒めたかのように目を瞬いてからトキヤを見上げてくる。
「おはようございます」
「うん」
眠気と言うよりは、なにか気になることにとらわれてぼんやりしている風の同級生に、わかりやすく顔をしかめてみせてもう一度問いかけた。
「どうかしたんですか?」
聖川さんとなにかトラブルでも?と聞けば、それには明確な否定が還ってきた。
「あー、でもしたっていうかされたっていうか……」
奥歯に物が挟まったような口調に薄々事情を察する。
「レンですか?」
「うん? ああ。よくわかるな、お前」
きょとんとする翔に軽く肩をすくめてみせた。簡単な推論だ。
「聖川さんがあそこまで冷淡に振舞うのはレンに対してだけでしょう?」
真斗と翔の二人が立ち話をしている事自体はさほど珍しいことではない。ラジオ実習で組んだせいか意外と仲がいいのだ。しかし、先程のやり取りは部外者であるトキヤにとってもどこか変に思えた。翔を通してレンを見ていたのならば話はわかりやすい。
「冷淡……っていうか……あー、でもそうか。レンに向かってならおかしくねえよなあ」
神宮寺レンと聖川真斗は基本的に人当たりも面倒見もいいのに、お互いを前にした時だけ猫が剥がれたようになる。
翔がどこか遠い目をして、もしかしてレンもか、などと呟くのでトキヤは嫌な予感を覚えて一歩足を引いたのだが、すぐに腕を掴まれた。
「やー、トキヤ! ちょうどいいところに! この前言ってた本貸してくれ。部屋に行ってもいいだろ? そんでついでに話聞いてくれ」
「嫌ですよお断りします。レンと聖川さんの喧嘩は首を突っ込んだら終わりじゃないですか」
その心は二人から等しく根に持たれる。
「じゃあ、話は聞かなくてもいいぜ。ただ、マジな話、ちょっと避難させてくれると嬉しい」
断り損ねたのは、最初の様子とは裏腹に翔の態度がどこかあっけらかんとしていたからかもしれない。
§
「邪魔すんぜ。――って音也も来てたのか」
翔が購買の袋を片手に部屋に来たのは、一時間ほど経った頃だった。はっきりと時間を聞かなかったのはトキヤだが、時計が示す時間には驚く。
「遅かったですね」
「一回戻ったからな。すまん。これ、賄賂」
買ったままの袋で悪いけど、と渡された物を検めると小さな箱が三つも出てきた。正方形の平べったい包みは軽く、傾ければかたりと音を立てる。ざらりとした千代紙のような包装紙には見覚えがあった。
「落雁、ですか?」
「や、和三盆」
翔には悪いが、その答えは想定外だった。トキヤが知る限り、翔自身が好きなのはポテトチップスなどのスナック菓子のはずだ。
「なんでまた」
「トキヤ、あんまり甘いもん食べないだろ。これなら量はちょっとだし、料理とかにもそのまま使えるってきいたから」
「――ありがとうございます。お持たせで申し訳ないですが、このままいただきましょうか。なにかリクエストはありますか?」
コーヒーという答えに頷いて台所に立つ。電気ケトルに三人分の水を汲んでスイッチを入れた。使っていたマグふたつと、翔のためにとりだしたマグひとつ、あわせて三つにドリップパックをかぶせる。一部屋に二人いた頃は粉で買っていたのだけれど、一人部屋に移ってから消費量を鑑みて個包装になっているドリップパックに切り替えたのだ。
「和三盆って砂糖だっけ? マサが出してくれるよね」
トキヤが部屋に戻ってきた直後に唐突にやってきて部屋に居座っている一十木音也が、平たい箱を試すがめすひっくり返すのを翔が取り上げて包を開いている。
「おう。それこそ聖川がラジオの収録ん時にたまに持ってきてたんだよ。つまんでもいいし、コーヒーとか紅茶にも合うからって。なんか買ってこうと思って売店寄ったらあったからつい」
「そっか。でも珍しいね、翔がこんな朝っぱらから人んちくるなんて」
三人分のコーヒーを淹れ終えて、先程買ってきたばかりなのにすでに手応えが軽い小さな牛乳のパックを冷蔵庫から取り出して、リビングへと戻った。
「ちょっとな。そっちこそ、朝早くからどうしたんだよ。あ、サンキュ」
「ありがと、トキヤ。俺はさっき仕事から帰ってきたの。玄関とこでマサにあったんだけどさあ、何かピリピリしててびっくりしたからなんか疲れが飛んじゃって、トキヤが休みなこと思い出したから遊びにきた」
「聖川さんとすれ違ったんですか?」
それぞれの前にカップを置いて、トキヤも座る。事務所から貸与されたメゾネットタイプの寮は広く、同期が全員集まっても余裕があるつくりだ。三人がバラバラに座っているとむしろ寒々しいような印象すらある。
「うん。トキヤも会ったの?」
音也が遠慮なくどぼどぼとカップの縁ギリギリまで牛乳を注ぐ。余ったら久々に牛乳を使ってホワイトソースの何かを作ろうと思っていたのだが、もはやそれほどの余裕は無さそうだ。
「いえ。私は直接は」
「ってことは翔?」
もはや中身がほとんど入っていない牛乳パックを傾けて、ほんの少しだけ色が変わったコーヒーに溜息をつきつつ翔が頷く。
「まあな。聖川っつうかレンっつうか」
「レンがどうかしたの?」
「私もよくわかってないのですが、どうもレンが聖川さんを怒らせたようです」
「えっ、マサを? どうやって?」
同じクラスだった音也のほうがトキヤよりも怒る聖川真斗を想像することができないようで、驚きのあまりかソファから腰を上げている。
「雑誌のインタビューあったろ。同期でインタビュアー回すやつ。あれやるっていうのに六時間ほど待ちぼうけさせたっぽい」
そのインタビューにはこの場にいる三人ともが苦労した思い出しかない。
「なんだ、自業自得じゃん。そういえば昨日マサが締め切りギリギリって言ってた。寝れなかったからあんなぴりぴりしてたんだね」
「ちなみにレンはよれっとしてた。一応、ベッドに押し込んで来たから少しは寝れるといいんだけど」
「聖川には追い出していいって言われたし、寝てたら起こすのも悪いとは思ったんだけど」
「気遣って起きてるような気もしますが」
「そうそう。だからいったん戻ったんだ。案の定起きてたんだけどもうふらっふらだったからスペアキーは置いて、ベッド使ってもいいと言ってでて来たんだよ。そういっとけば遠慮はしすぎないだろ」
翔の配慮になるほどと頷いた。
確かにレンは過剰な遠慮はしないで、適度に好意を受け取る。同様に、彼の世話焼きを鬱陶しく思うことなく、むしろ後になってから気付かされることが多いのはそういったさりげない距離の取り方がうまいからだ。何の気負いもなく施される優しさは、どこか彼の幼馴染が持つ優しさと似ている。
「マサが? でもそれっていつもじゃないの?」
それでぴりぴりしてたってこと?という音也の疑問に、翔が肩をすくめる。
「それがさー。レンがいうには、聖川が怒るわけがないんだって」
「は?」
「なんか知んねえけど怒られないらしいぜ」
「あほですか」
「俺にいうなよ」
「怒ること自体、相手に興味があるってことですしね」
「取り繕わない、んだよなあいつら」
それなのに、そこに決定的な言葉がないだけで肝心なことだけが伝わらない。
「あいつら、分かってねえんだろうな」
傍から見ている外野にとってはとてもわかりやすい。
抉るのも、抉られるのもお互いに望まれるように。
いつでも打ち合わせることのない即興の芝居を見ているようだ、と思う。
けれど、求められたようにしか返さないから本心がでない。
「あのインタビューの聞き手、受け手を決めたのが誰だかは知りませんが、よく考えたものだと思いますよ。聞き手がレンだったら、相手が聖川さんだと知ったらまっとうにインタビューなどせずに勝手に中身を書いてしまっていたのではないですか。聖川さんですら昨日お会いした時に、仕事でなければ勝手に書いてしまってもいいんだが、とおっしゃっていましたから」
「え、あの聖川が?」
「ええ。大抵のことは知っているし、それで提出してしまっても感謝されるだけで、癪だからやらないと」
「あなたは弟さんがいらっしゃいますから想像しやすいのではないですか? 同じ事、出来ますか?」
「無理だな」
「えー、俺、トキヤの書けって言われたらかけるよ」
「お断りします」
「あいつらお互いにそれでいいって思ってんのがな」
「本心まではわかりませんが、少なくとも停滞したままではありますね」
変わるつもりがない
面白いものだと思う。
「あの二人にはヘタに関わると振り回されるだけですよ」
察するということについて考えるトキヤ
3.一十木音也
レンのこと?
おんなじクラスになったことはないんだけど、大人だよね。女の子たちからいつもきゃあきゃあ言われてるし、授業もあんまでてなかったみたいなんだけど成績は良かったってトキヤが言ってた。
え、そういうことじゃないの?
人柄っていわれてもなあ。あ、楽しむこと、の範囲がすごく広いなって思ったことがある。なんかやろうよっていって断られたことは殆ど無いよ。
マサについても?
いいやつだよ。生真面目で、すごく育ちがいいなあって思う。
結構、あわてんぼさんでもあるよね。視界が広いのに視野が狭い。前にドッキリで騙したことがあるんだけど、ほんと流れるように対処法が出てくるのに根本的なとこに気づいてくれなくて大変だった。行動力も実行力もあるし、よくも悪くも人を使うことに慣れているから自分がやれることとやれないことの見極めが早いんだよね。
もちろん騙したのが悪いんだけど、マサにはなるべく適当なこと言わないでおこうって思ったよ。
「そうかなあ」
一十木音也は首を傾げた。
「いっそガンガン関わって、変えちゃったほうがいいんじゃない?」
なんでもできてしまうことにコンプレックスがある。熱情を持てないことをひそやかに嘆いて、
天才だって思ってた。
「いつだか、マサに言ったことあるんだよね。トキヤは努力家だけど、レンは天才だよねって」
「それで?」
「神宮寺は努力家だぞって言われた」
トキヤは努力家、レンは天才と考える音也
4.四ノ宮那月
レンくんについてですかあ?
翔視点→トキヤ視点→音也視点→那月視点でぐるっとまわせるといいな
何もかもが帳の内側で眼に見えることはとても少ない
> IN-SIGHT
IN-SIGHT
翔は朝食は食べてからくるというので、一足先に売店を経由して部屋に戻ったトキヤはまず電気ケトルのスイッチをいれた。水量は迷ったものの、コーヒーも紅茶も時間を置けば置くほど風味が損なわれていくので、客人が来てから改めて入れなおすことにして、普段使っている大きめの保温マグに入る程度の量に抑えることにする。豆そのものにあまりこだわりはないので、カップに直接被せて一杯ずついれることのできるドリップパックをストックしている。保温マグは倒してもこぼれないようしっかりとした蓋がついた広口のもので、ドリップパックを引っ掛けるとやや突っ張ってしまう。なれない頃は力加減を間違ってひっくり返してしまうこともあったが流石に最近はそんなことはない。マグにセットし終えたところで、ちょうど湯がわいた。
と、同時にさらに部屋の扉が唐突に開いて誰かが飛び込んできた。
「トキヤー」
「ハウス!」
飛び込んで来たのは、去年一年間騒がしい同居人だった一十木音也だった。学園を卒業し、この事務所寮の個室に移ってからはや一年が過ぎようとしているにもかかわらず、同じ部屋に住んでいた頃と変わらないように音也は躊躇なくトキヤの部屋に押しかけてくることが多い。
「俺は犬じゃないよ! ハウスとか言わないでよ悲しくなるんだから。あっ、コーヒーだ! 俺にもちょうだい」
口を尖らせて抗議しつつも、めげた様子など全く見せないまま音也がまとわりついてくる。
「あなたの分があるわけないでしょう。一杯分しかわかしていないんですから」
熱いものをあつかうのだからと、どうにか傍から引き剥がしてコーヒーを淹れる。
「でもそれたくさんはいるやつでしょ。いれてからちょっとちょうだいよー。どうせ牛乳たっぷりいれるから俺の分少なくていいよ。ね?」
勝手知ったる食器棚をほいほいあけてマグカップを差し出してくる厚顔さにも何時の間にか慣れてしまってはいるものの、おとなしく分けてやるのも癪だ。
「牛乳なんて買い置きしていないのは知っているでしょう」
「え、でもさっき売店で買ってたでしょ」
だから来たんですか、という言葉は飲み込んだ。
「――買いましたがあれは翔が来るというからであってあなたのためではありません」
「えー」
唇を尖らせた音也に空の電気ケトルを押し付けて、自分で淹れるならご自由にとだけ言い置いてリビングに広げて置いた資料の前に座る。
翔がインターフォンを鳴らしたのは、音也が自分のコーヒーを淹れ終えてリビングにきた頃合いだった。
同じ部屋で一年、別れて暮らし始めて一年の合計二年弱の付き合いで分かった気になる方が間違っている。
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