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模倣する猫の問題
初期刀、山姥切国広のはなし
「山姥切国広」
 はじまりは、稚き声だった。
 細くて高い少女の声が鈴がふるえるように凛と響き、魂を揺さぶる。
「目覚めや」
 喚ばう声に惹かれて、かすかな浮遊感とともに瞼を開く。同時に足の裏で床を踏みしめる感触を得て、自分が引き出されたことに気づいた。
 顔を上げてまず目に入ったのは美しく着飾った少女だった。いささか時代がかった幾重にも重ねて着る着物に、赤い袴。射干玉の髪には金色の冠を刺し、白い肌に紅をはいた唇が映える。
 しかしながら、その、十歳を超えたかどうかの幼子にまず感じたのはなんとも言えぬ禍々しさだった。己がまさに今、刀剣から呼び起こされた付喪であるということを棚に上げて、化け物と罵ってこの場を逃げ出したくなる。走りださなかったのは少女の後ろにも数多の人がおり、そのすべてが自分を注視していたからだ。
「そなた、名は」
 目の前の少女が光を吸い込むような闇色の瞳でこちらを見つめ、わずかに首を傾げ問うてきた声に若干の居心地の悪さを覚えながらも、おとなしく口を開く。
「山姥切国広だ。……何だその目は。写しだというのが気になると?」
「いいや。よろしゅうたのむ」
 そう応えた彼女が表情を変えぬまま檜扇を鳴らせば、背後に並んでいた者たちが一斉に退出した。
「なんなんだいったい」
 さほど広くはない部屋だ。三方が壁に囲まれ、窓はない。よくある作りだし、ひとはもうひとりしかいないのに、どうしようもない息苦しさに襲われる気がした。
「あれらは二度はそなたの前には来ぬ。忘れていい」
「——なんで俺なんか」
 喚ばれた理由はわかっていた。こちらへと引かれるその前に聞こえていた祝詞が願いをすべて込めていた。過ぎ去った時の中に戻って陰を斬れという。
 けれど、それだけで己を喚ばうのかはわからなかった。自身が国広の最高傑作であるという自負はある。しかし、それだけだ。刀として戦場へ出たことも、歴代の主人とともに名をあげられるような逸話も特に持たない。号ですら己が成したものではなく、本来はそれを成した本作の長義のもので山姥切国広が個で有するものではないのだ。数多ある刀剣でなぜ自身が真っ先に勧請されるのかがまるでわからない。
「加州清光、歌仙兼定、蜂須賀虎徹、陸奥守吉宗」
 まるで歌うかのように羅列された名に覚えはなく、ただ目を眇めて少女を見下ろせば彼女は己の顔をそっと広げた檜扇で隠した。まるで虚のような暗い色の瞳だけがつよく山姥切国広を射抜く。
「そして、山姥切国広」
 最初の、稚い声が偽りだったかのように名を呼ばう深みある声にきりきりと体を絞められるような心地を覚える。いや、間違いなく少女は山姥切国広の生殺与奪権を握っており、今もその声をつたって毒を流し込むかのように一声一声に体の震えが大きくなっていくような心地がする。
「初めにこれより選べと名を聞かされてなんと御誂え向きな、と思うた。——のう、山姥切」
 ぱちり、とふたたび檜扇が閉じられる。
「俺は……写しだ」
「形を写し、名を名乗ることの重みを人ならざる存在が知らぬ訳もあるまい」
「……俺は」
 喘ぐようになんとか絞り出した言葉はそれ以上は続かなかった。
「いつかその名で私を斬ってくれ」

 くにひろ、と囁く声はしわがれてまるで老婆のような疲弊を含んでいた。
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