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海の青 空のあを
> 審神者のはなし > いづれ、ふりつむ
2015/02/25
いづれ、ふりつむ
鶴丸国永と。冬の庭やったね記念。
審神者は外見十歳前後、中身八、九十歳の、わりと死期がちかいひと。
どうした酔狂か、わざわざどこぞの山城を復元したという審神者の居城はところどころ手を入れられているところもあるものの、元来のとおり夏は涼しく冬はより寒い造りだ。水や食料は城内ですべて完結するように作られており、山を降りる必要もないため、鶴丸国永はいまだにここが日本のどこにあるのかを知らない。わかるのはこの地には雪だるまを作って遊べる程度には雪が積もることぐらいだ。
人に佩刀されていたころはまだ外の様子を見ることができていたが、人から人の手に渡るようになってからは世情にはすっかり疎くなった。たまに展覧会などに貸し出されることもあったが、厳重に守られたままの移動とガラス越しの展示では何を知れる訳でもない。
その日々に比べれば付喪として覚醒めさせられ、人であるかのように扱われることは面白かった。しかし、過去へと開かれる扉こそあるものの、人の出入りのないただ本丸とだけ称されるこの場所もまた間違いなく箱庭であった。
「主」
鶴丸国永が探していた主は庭に面した縁側に腰掛けてぼんやりしていた。どれだけの間そうしていたのか、膝の上には雪が積もっている。声をかけても反応のない主の背後に周り、小さな体躯を抱き上げた。主なりに着膨れてはいたがどれだけ呆けていたのか上掛けは溶けた雪で濡れてすっかりと冷えきっている。
「風邪を引きたいのか?」
「もう引いてる」
ほれ、と鶴丸国永の首筋にあてられた手は驚くほど熱かった。
「……主」
よく見れば殆ど日にあたることもなく焼けることのない白い顔は発熱のためか赤く染まっている。
「来てくれて助かった。もう動けぬ」
目を閉じて鶴丸国永の肩に頭を預けると、彼女はそのまま動かなくなった。
「おい」
こころなしか呼気も荒い。今こそ人型をとっているとはいえ、鶴丸国永はあくまでその本性は太刀であり、本丸に在する同僚と言っても差し支えのない存在たちも皆人ではない。風邪をひく、というのもただ蓄積された知識から引っ張りだした慣用句でしかなかった。
暫し悩んだものの、もともと夕餉のために主を探すように頼んできた燭台切光忠のいる厨にそのまま足を伸ばすことにした。十になるかならないかのころに成長が止まったという主の体は軽く持ち運ぶのはさしたる負担ではない。
「燭台切、いるか」
もとは主の式神が食べられればいいというような食事とも呼べぬような食事を作っていただけの厨は、燭台切光忠の参入によって劇的に改善されたという。以前仕えていた主がそういったことが得意だったとかで、鶴丸国永が本丸へと来た時にはすでに厨は燭台切光忠のものだった。
「鶴さん? 主いた?」
「いたけど倒れた」
「は?」
燭台切光忠は鶴丸国永よりはるかに人に対して有能だった。雪に濡れた上掛けをすぐに脱がせて乾いた布で包み、厨で手伝っていた薬研藤四郎に主の私室を温めに行かせる。時代に逆行した建物はこういう時には不便だと零しながらも、燭台切光忠は手際よく竈に向かって何かをつくり上げると、主を抱えたままぼんやりしていた鶴丸国永にそれを差し出した。
「何だ?」
「湯たんぽだよ。いつもは夜に作ってるんだけどね」
見慣れぬふわふわとした生地で覆われた暖かな湯たんぽを主の腹の上に乗せると意識はなくとも冷えきっている己に大事なものはわかるのか、ぎゅっと抱え込んだ。
「ほんとはお風呂入れて漬けるのがいいんだろうけど、うちは女の子いないからねえ」
さすがに食物を取り扱うときには黒手袋を外している手で燭台切光忠は主の熱をはかるように額に触れる。暖かなところへきたからか、血の気が引いて白かった顔色は少し赤くなっていた。
「しかし、僕もご飯のことなら割とわかるんだけど、薬のことはよくわかんないんだよね。こんのすけに聞いたらわかるかな」
この本丸で唯一、ここへ来る前から主に仕えている式神の名前を耳にして鶴丸国永は首を傾げた。
「加持祈祷なら石切丸がいるじゃないか」
「……鶴さん、さすがにそれは世間知らずが過ぎないかい」
呆れたような燭台切光忠に反駁しようと口を開いたところで、名が出たからかひょこりと白い狐が姿を表した。
「呼ばれましたか?」
ふさりとしっぽが揺れる。
「うん、主が寒さから高熱を出しているようなんだけど、対処法はあるかな」
「確認してまいりますね」
「よろしく」
まるで人のように頭を下げてから狐が消える。狐の言う「確認」の先を鶴丸国永も燭台切光忠も知っていた。
「……外を拒絶してるのは主のほうだろ」
「拒絶してるから外がないのか、外がないから拒絶しているのかは別物だよ。それが実であろうが虚であろうが」
§
その後、すぐに戻ってきた狐の指示する薬を飲ませた審神者を、薬研藤四郎が整えてくれた自室へと返して寝かせた。
審神者は薬が効いたのかさして寝込む事もなく、すぐにもとのように本丸のあちこちに顔を出すようになった。歴史修正主義者との戦いはほぼいたちごっこで、完全な掃討というのは根本を叩かない限りはどうにもできないものだとふとしたおりに鶴丸国永は審神者から聞いたことがある。最近ではもっぱら、より昔に遡ろうとする相手を逃してはいないかといまのところ赴くことのできる一番昔である平安末期へとの出陣を命じられることが多かった。逆に、戦う必要のない遠征は、様子を見るためか幕末から江戸への遣いが一番多い。
鶴丸国永はどちらかといえば前線組で、間断なく出かけることを命じられる遠征組よりはいくばくかは本丸に在中している。とくに内番もなくふらふらとしていたときに、床を上げたばかりのはずの主が座敷でぼんやりしているところに行き当たったのには何の不思議もなかった。
「主」
流石に縁側に腰掛けて雪が積もるままにしていた先日よりはましではあるものの、障子を開け放した座敷ではあまり状況は変わらない。障子に手をかけて覗き込んだ部屋の中はすっかりと冷えきっていた。
「今日はまだ元気だ」
ひらりと振られる掌は相変わらず小さく、指先は寒さにか赤く染まっている。
「まだか」
「ああ。燭台切光忠に釘を刺されたからな。火鉢も置いて暖かくしている」
示された先にはたしかに火鉢はあったが、部屋の広さのわりにおざなりに隅に置かれているだけで、主の防寒には役に立っていないことは明白だった。
「いや、寒いだろ」
審神者は鶴丸国永の問いには答えず、膝を抱えたまま、ただ笑った。
「雪は好きだ。見たくないものなど全て覆い隠してしまえばいいと言っている気がする」
「あの写しのようにか」
思わずこぼれた言葉に主が驚いたように目を丸くして鶴丸国永を見上げた。
「どうした」
「そなたでもそういうことをいうのだな」
「なにかおかしいかい?」
鶴丸国永はひとを驚かせることは好きだが、予測のつかぬことは好きではない。驚かせようと思わなかった時にこうして驚かれると何故か不快感のほうが先に立つ。
「他刀のことなど気にもかけていないと思っていた」
「同じ隊で組むこともあるやつのことぐらいは覚えてるものさ」
「そなたの無知と無関心はわざとだろう? 好奇心を全部殺しているのに驚きがほしいとかわがままめ」
猫のように殺されぬのはいいようなきはするがなと続ける主は、鶴丸国永よりもはるかに短い時しか生きていないのに何もかもを知っている賢者のようにも見えた。
「――己を大事にしろとは言わないのかい?」
「わたしがか?」
無邪気な童女にしか見えぬ主にそう切り替えされて、今度は鶴丸国永が珍しくも言葉に詰まった。雪を見ているうちに高熱を出して倒れたばかりなのに再びこうして寒いなか雪見を敢行している主はどう贔屓目に見ても己を大事にしていなかった。
「そなたらと違ってわたしは死ぬよ。このままだと夢に見た畳の上での大往生だ」
言いながら、審神者は畳に大の字に寝転がる。重いと文句をいう割に切ることのない長い黒髪がふわりと青々としたいぐさの上に広がった。
「夢か」
「もともとずっと管に繋がれて生かされる予定だったわたしが墓にはいれるはずがなかろう? 死んだとしても解体されて標本になることはもう決まっている」
声はどこまでも軽いのに、主が顔を伏せてしまったせいで表情は鶴丸国永からは見えない。
「墓に納められたものが暴かれるのと、土の下に眠ることもなくずっと飾られ続けるのはどちらがましだろうな」
「さてな。それともそなたがわたしを殺して、血でその衣を染め、体をこの屋敷の下に埋めてくれるか?」
「俺が?」
くらり、とするはずのない目眩がする。確かに目の前に主がいるはずなのに、すべてを飲み込むような底のない闇が鶴丸国永を手招いていた。
無意識のうちに浮いていた右手が空を掴んで、たたらを踏む。
「冗談だよ、鶴丸国永」
するりと、起き上がった審神者が透徹に笑って鶴丸国永の傍を抜けて部屋を出て行く。その後ろ姿をおうことも出来ず、ただ座って己に雪が積もるのをただ、待った。
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