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雨、そして雨
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鶴丸国永の拵え
名前の由来とか
名物鶴丸のハバキに竜胆がはいってる、というのは、もとは村上源氏の家紋である竜胆紋を太刀の鞘、太刀の金具、ハバキに透かしで、などだったもよう?ハバキに入ってるっていうのは伊達家のほうの書付に残ってるっぽい 太刀の鞘の方も複数に記述あり。
竜胆丸ともやはりよばれていたもよう。ただ竜胆丸は竜胆丸で別にあったと見る説のほうが有力。あと墓に入ってたのでは説がのってるや、これ。そこからきた異称が、陵あるいは陵丸。中国の故事もあるけど風習的にやっぱり埋葬されたのではってある……。良く無事だったな。
あと藤森の某家にあって藤森神社の神事にかしてたってはなしはあるけど藤森神社に奉納されてたって話ではなさ気なんだよなあこれ。北条氏がどっかで神社に奉納して、その時に鶴丸の紋の拵えを付けて(奉納時に鶴を付ける恒例があった)奉納したのをどっかで信長が召し上げたのだろう、とある。
鶴丸の名は奉納時についたんじゃないかってあるね。
伊達家に来た直後に、同家の定紋、引両入りの金具つけてもらって、鞘にも同じ紋蒔絵にした太刀拵をつけてもらったそうな。
献上時に研ぎ直しをされているけれど、その時期については明治九年とする説と明治三十四年とする説がある(前者のが有力のようだが根拠が見つけられない)。
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