1.七歳冬 1
私にとってのすべてのはじまりは、一人の少年との邂逅だった。
その年の冬は、領地にある本邸ではなく王都の別邸で過ごすことになっていた。年が明ければ八歳となる私の社交界へのお披露目をも兼ねていたのだろうと今となっては思う。けれど、その時の私にとっては長い冬を慣れた家ではなく、知らぬ土地で過ごさなければならないという不満に満ちたものだった。
それでも、ある日の夜に母の金切り声を自室でも聞き取れたのは、王都の邸宅が本邸よりもずっと狭く、私に与えられた仮逗留の部屋が応接室からは近かったからだ。
母は綺麗で穏やかな人で、声を荒げるところに私はそれまで遭遇したことがなかった。そもそも、母は父を愛してはいたが、私にはあまり興味を持たない人だった。あまり落ち着きのない、ばあやのお小言を頻繁に頂戴する娘をたしなめたこともはなく、その割に母の愛を求めてまとわりつくこどもに後でねと言わないのは一度相手をすれば二度目三度目は断れると考えているからだ。もちろん、そのことに気づいたのはずっとあとのことだったけれど。
その時、自室で待っていろというばあやをふりきって応接室へと足を踏み入れたのは、母の怒号が珍しかったからでそれ以上の理由は特にはなかった。
「お母様、お声が聞こえまして、よ——」
ぐらり、と世界が揺れた気がした。
「クラウディア?」
咎める声を出す父の傍らに無表情で立つこどもを、その構図を、私は知っていた。
色褪せた情景のなかで、言い争う夫婦の奥に立つ黒髪の少年がいて、手前にはやはり黒髪の少女がいる。顔が見えるのは少年だけだった。
でも、私の目の前にいるのは、確かにその記憶の中のこどもだった。どこかから私をぎゅうぎゅうと押しつぶすような圧倒的な記憶が降ってくる。ふらつく足をどうにか動かして、手袋をはめたままの手で拳を握って三人に近づく。
「お父様、その子だあれ?」
「クラウディア、部屋に帰りなさい」
母からの珍しい叱責も耳に入らない。
「お父様」
私は、父の答えは知っていた。けれど、父の口から聞かないと意味が無いこともわかっていた。
いつの間にかまるで自分のことのように取り出せるようになった記憶がありえないと常識で以って喚くのをどうにかおさえこみながら、同い年の少年の前に立つ。
彼の短髪はこの時限りにしか見られない。けれど、このスチルは何故かすごく人気があって、成長した後の彼がもし短かったら、というテーマは単独タグが出来る程度には流行っていた。このときの短髪はよく見ればそれは不揃いな断髪で、実際、怒りに任せて切られたものだったから、大人になった後に髪を切る話も結構な数を見た。
「——お父様?」
明らかな闖入者である私が目の前に来ても、何ら反応のない少年に戸惑うように父を見上げてみせれば、結局は娘に甘いところのある父はふっと息をついた。
「お前の従兄弟だよ、クラウディア。名前はアルド」
「あなた!」
母の悲鳴はもう、私には何の意味も持たない。
おそらく、この時に元々形成されてた人格のクラウディア・カンパーニは前世の記憶に押しつぶされて死んでしまったのだ。