Supercalifragilisticexpialidocious! 01(サンプル用/ついすて/イデアズ/転生パロ/記憶あり×記憶なし/名前も違います)
注意
転生パロみたいな、本編百年後くらいの世界です。
イデアは記憶があり人格はほぼそのままですが、アズールは記憶はなく名前も別です。
イデア(?):イデア・シュラウドのまま通しているし事情を知っているものたちにもそう認識されているけれど、概ね対外的にはイデア(Idia)からとってイド(Id)と名乗ってる。とある理由があってヴィンセントをその名では決して呼ばない。
アズール(18):今の名前はヴィンセント・シェル。タコの人魚だが嵐の日に流されてイデアに拾われてからはほぼ陸で暮らしている。イデアがアズールと呼んでくるのを拒否したがヴィンセントの名前を決して呼んでくれないため、『アズール』を崩してアズィーと呼ばれることを許容している。ナイトレイブンカレッジの三年生。アズールとしての記憶はないし記憶が蘇ることもない。完全な別人格なのだが――。
1.帰省トリップ!
「その行き先は存在しない」
そう告げられるであろうことを予想していたとはいえ、闇の鏡の無慈悲な声に僕はその場で足を踏みならし、蹴られた床の悲鳴のようなだあんという鈍い音が鏡の間に反響した。
「やると思いました!」
予想していないわけがない。
三年前、このナイトレイブンカレッジに入学してからホリデーの度にこのやりとりを繰り返して、すでに片手では足りない回数を経ている。そもそも、エレメンタリースクールに通わされることが決まったときも、ミドルスクールにも通わなければならないと知らされたときも僕は家を出たくないと散々反抗につぐ反抗を重ねて家自体を学校近くへ移して貰ったのだが、この全寮制の学校から召喚状が届いたときにはさすがにその手は使えなかった。ことあるごとに僕を海の底にある実家へと帰そうとする保護者《イド》がこの絶好の機会を逃すはずがないからだ。
ナイトレイブンカレッジをはじめとした、入学資格を持つものへと召喚状を一方的に送りつけるタイプの魔法士養成学校への進学拒否は基本的には認められていない。なぜかというと魔法士に関する国際的な条約に基づいて何も知らぬ無知な魔法士を保護する役割を有しているためだ。これは一般的には伏せられている事情なのだが、僕がエレメンタリースクールに通いたくないとごねすぎたときに、いずれ僕ほど魔力を有しているのならば絶対に迎えが来るから多少なりとも同年代のこどもたちと過ごす術を覚えておいた方がいいと教えて貰った。これについては、入学してからそれとなく探ってはみたのだが、三年経った今も真偽は定かではないままではあるものの、生徒たちの出自があまりにもばらばらでそれなりの裏付けは得た気がする。
なんにせよ僕はいずれあの家を出されることも、帰省が簡単には許されないこともわかっていた。わかっているからこそ、大半の生徒が鏡をくぐり終えたあとの閑散とした鏡の間にこうして足を運んで、案内役として立つ学園長の他に誰もいないなか心置きなく地団駄を踏んでいる。
「またですかシェルくん。今度こそ保護者の方と話し合われたのでは」
わざとらしい溜息をつきながら、闇の鏡の傍らに立っていた学園長が両手を広げた。大仰な仕草と共に背負っている烏の羽がわさっと広がって目障りだ。かといって、これからバカンスですといわんばかりのアロハを着た姿でも同じように目障りなので、着ている服ではなくて学園長自身に苛つく原因があるのは明白だった。学内でもたまに闇討ちされているのを見かける。
「話し合いましたとも。イドもいい加減、僕が諦めないことを諦めればいいのに」
この前のホリデーの終わりはいつもと同じように平行線で終わった。カレッジに入る前から延々と続けているやりとりだから、もはやなんの新鮮味もない。こどものように駄々をこねるだけではないのにいつだってイドは僕を軽くあしらって話を真剣には聞いてくれないままだ。
「おやおや、自分が出来ないことを相手に押しつけるものではありませんよ」
あなたが諦めきれないように、彼も諦められないだけでしょうにと何もかもを解った風に言われてちっと舌打ちをする。このやっかいな大人は間違ったことはいってこないからやっかいなのだ。
「――だったら僕だって諦めなくてもいいはずだ」
「まぁ、そうですね。それで、どうしますか? 行き先の変更なら受け付けますよ。私、優しいので」
今ならこの仮面を剥ぎ取って床にたたきつけても許されるのではないかと思うものの、そんなことはただの時間の無駄だということもわかっていた。
「変更します」
あらかじめ調べておいた座標を告げると、今度は拒否されることなく闇の鏡がゆらりと光る。行き先の名称などという曖昧な指定で可能になるあまりにも便利な移転だけではなく、緯度と経度で厳密に指定できるという裏技を教えてくれたのは保護者《イド》本人なのに、どうしていつまでも僕が帰る場所と定めているあの家の場所をどこかへと移してしまうのを諦めないのだろう。
「ところで参考までに聞きたいんですが、いつもどのように特定してるんです?」
あの保護者さんが何の対策もしていないはずはないと思うんですけれどと不思議そうにしている学園長に、イドへと告げ口する意図などはないことはわかっているが、この軽い口にうっかりこぼされてしまってはたまらないので、相手を真似て両手を広げて見せた。
「黙秘します。保護者に技術は安売りするなと厳しく言われていますので」
そういいきかせてくる本人は実はわりと自分が作り出すものへの頓着がないのだが、おそらくその作品を積極的に外へ持ち出すことが殆どないからなのだろう。ただ、雑に扱っているようでいても、自分が作るものの価値にはいつだって真摯で卑下することはない。
「結構。よいホリデーを」
ばさりと烏の羽がゆれるのを横目に鏡へと足を踏み出す。
「よいホリデーを」
§
鏡をくぐり抜けた先は見知らぬ荒野のど真ん中だった。風は強く吹いているし、空は雲が重く垂れ込めていて今にも雨が降り出しそうだ。手にしているトランクには帰省のための最低限の荷物しか入れていないから、当然折りたたみ傘すらも入っていない。
ぐるりとあたりを見回すと、やや離れたところに見慣れた家がぽつんと立っていた。探査魔法で得ていた結果に間違いがなかったことに安堵して、歩き始める前に指を鳴らして簡易の風雨よけの魔法を張る。長くは保たないが、屋根の下に辿り着くまでを凌ぐには十分だ。
いつも思うのだが、イドはどうやってこういう人がさっぱり住んでなさそうなところを探し出しているのだろう。僕が知る限り、自分で歩き回って探すほど外に出ていることはなく、インターネットなどで人がいないと言われるところは結局のところに人に認知されているから、本当に人がいないということがない。だというのに、イドが移転に選ぶ先は国も地域もばらばらなのに、どこも等しく人里からは遠かった。ちいさいころには朝起きて、ドアを開けたら全く違うところにいると気付くその瞬間がたまらなく楽しみだったこともある。
しかして、今はそれを楽しめる余地などまったくない。闇の鏡に帰る場所としてこの家を指定する度に「存在しない」と告げられるのは辛くて悲しい。
うかつに嵐に近寄って遠くまで流されたグズでノロマな人魚のこどもを拾ってくれたのはイドで、本来陸では生きられない人魚を救ってくれたのもイドで、僕にはイド以外はいないのに、イドだけがいつも僕にはもっと他の世界があると言い続けている。
イドは僕が頑固だというけれど、イドだって負けず劣らず頑固なので、僕らはお互い様だと思うし、イドは自分がやってることをもっとちゃんと振り返るべきだ。
急ぎ足で辿り着いた先で、いつだって僕を拒むことのない扉があっさりと開く。物理的な鍵なんてかかっていたためしはない。でも、イドの意に沿わない客を容赦なく簡単に閉め出す仕掛けが施されていることは知っている。ごくまれに招かざる客が入り込もうとしては何も出来ずに去って行く。だからたぶんこうして家に入れるうちはどれだけ拒否されているように思えても許容されている。
「イドの馬鹿! ただいま!」
「おかえり、アズィー」
辿り着いたいいにおいに満たされたキッチンで青く燃える炎が振り向いて、自分がした仕打ちなんか忘れたように手を広げてやわらかく微笑んだので、僕はトランクを投げ捨てて遠慮なくその腕の中に飛び込んだ。ぎゅうぎゅうと締めつけても、のんびりと僕の背中を叩いてなだめてくるのはこども扱いしかされていない証だと知っているから込める力に遠慮はしない。もっとちいさい頃は僕をかかえたままソファへと移動していたイドが最近は僕が飽きるまではそのままでいてくれるのをいいことに、骨ばった肩に顔を埋めて深く息を吸い込む。イドの魔力の表出だという炎でできた髪の毛は特に匂いはしないのだけれど、僕は昔からこの揺らめく青にもぐりこむのが好きで、イドに剥がされない限りはよく張り付いていたものだった。
「あれ、髪伸ばしたの、アズィー」
珍しいねと言いながら、楽しそうにイドが後ろに一つにくくった僕の髪をゆるく梳く。さすがに気づかれたかと溜息をついて、だらりとイドへと体重をかければ、それが幼い頃からのささやかな言葉にはしない程度の抗議の意味だと知っている相手はふひひと笑って、すでに小さくもなんともない僕を危なげなく片腕に抱き上げた。
「似合ってるよ」
完全にちいさいこどもをあやす調子になってしまったので、掌に魔力を纏わせて燃える髪の毛をぐいぐいと引っ張ったが、イドは慣れたもので、キッチンの隅っこにおいてある僕のための椅子に僕を据えた。どれだけ強く握りしめていても、実体があるようでない炎はイドが根本の方を払ってしまえば掌の中からすり抜けていく。
「ちょっと遅いけどお茶にしよう。この前、オルトがそろそろホリデーで帰ってくるアズィーのためにって豆も葉も送ってくれたけど何がいい?」
オルトくんはイドの実家《シュラウド》の家令で、人じゃなくてロボットで、エレメンタリースクールに入るまでは僕の先生でもあった。イドに何を言われても両親に泣かれても頑としてこの家を出ようとしない僕に陸で生きるためのいろんなことをたたき込んで、イドの説得を手伝ってくれた恩人でもある。お世辞にもできがよいとはいえなかった生徒の僕を今でも気にかけてくれていて、こうしたホリデーの折に差し入れをくれることもよくあった。
「紅茶を」
あたりに漂う香ばしいにおいの正体はとっくに知っている。
「はいはい」
僕に背を向けたイドは、鼻歌交じりにドクロ型のガジェットを傍らに浮かべてオーブンから焼き立てのキッシュを取り出し、戸棚から食器を呼び出した。ふわふわと宙を漂よわせたままカップや皿をまとめて洗浄し、キッシュも切り分けていく。ポットはコンロにかけられているが、火の制御はやはり魔法で行われている。
魔法士にとっては平行思考とマルチタスクは普通だよというイドの言葉は正しい。だが、イドほどの精度と数は普通ではないというのはナイトレイブンカレッジに入ってから知った。僕は人魚の姿であれば十本の手足があるからか数だけならそれなりに対応できるわりに精緻な作業はやや苦手だったのだが、いざ入学してみたら同級生はおろか上級生を見渡しても魔法操作に関して僕の技術はずば抜けていた。教師にさえ教えられることはないと匙を投げられ、実践授業にも拘わらず受講免除されたあげくになぜか魔法操作の講義の助手に任命された。
ちなみに教室で受講する生徒たちに目を配っていたら視野の広げ方のコツを掴んでしまい、魔法操作の腕も上がった。ただそれでもイドの腕には及ばない。習練の仕方をイドに聞いてみたこともあるのだが、できるからというなんの参考にもならない答えだった。
天才というのは本当にやっかいだ。この家に使われている魔法と魔導工学の技術は外の世界のどんなものよりも遙かに高度だとはずっと知っていたけれど、実際にナイトレイブンカレッジで他の魔法士の技術に触れて初めてどれほどすごいものだったのかを思い知った。僕が打ちのめされずにすんだのは、もともとイドという壁が途方もなく高いことを理解していたからだというだけだ。
お茶の用意を整えたイドは再び僕の前に戻ってきて、またも片手で僕を抱き上げた。ちいさい頃から今に至るまで、イドは僕を抱きかかえるときに魔法を使わない。その理由は力加減を間違えたら怖いからだというのは何の冗談かと思ったことがあるのだが、オルトくんによると嘘ではないという。魔法というのはイマジネーションで制御するから、ちょっとした思考の乱れで簡単に駄目になるのは確かだが、僕はイドが取り乱すところを拾われた時から今まで一度も見たことがない。
僕が、大事に甘やかされているのだとは知っている。
辿り着いたダイニングルームで僕がイドの手で引かれた椅子に丁寧に降ろされる傍ら、ダイニングテーブルに飛んできた大きめに切り分けられたキッシュが僕の前に着地し、ポットからは十分に蒸らされた紅茶が注がれた。
キッシュが置かれるのは僕の前だけだ。イドがパイ皮から作る海鮮がたっぷりつまったキッシュは僕の大好物だが、イドはよく作ってくれるわりによっぽどのことがない限りは食べない。つまり、イドは僕が簡単に帰ってこれないように家を移転させたにもかかわらず、わざわざ時間を合わせてまで僕のためだけにキッシュを焼いているのだ。
帰ってきて欲しいのか欲しくないのかはっきりして欲しいけれど、こうして歓迎されている間は少なくともすぐに追い出されたりはしないのだということにいつもほっとする。
「どうぞ」
向かいに腰掛けたイドがそう告げて自分のマグを手にしたので、僕も添えられたカトラリーに手を伸ばした。
焼きたてのパイ皮はまださくさくで、たっぷりと練り込まれたバターのにおいが食欲をそそる。
「おいしい」
「そ、よかった」
オルトくんがいうには、イドは以前は料理をするどころか、食事さえも粗雑にしていたらしい。僕が拾われたばかりの頃はよく「何食べる?」と聞かれたものだけど、それはタコの人魚である僕の食事事情を慮ったものだと思っていた。
海の中にも調理の習慣はあるし、僕の親戚はリストランテを経営していてかなり繁盛しているけれど、なんせ水に満ちた世界なのであまり加熱することはない。海底火山のある地方ではまた違うというが、僕は直接は知らない。
一方イドはそれまで僕が食べていたような生魚は嫌いだ。食に頓着のないイドが嫌うなんてよっぽどなのだなと今なら思うが、何も知らないこどもだった僕は聞かれるたびに貝が食べたいとか魚が食べたいとか好き放題にリクエストしていたし、用意された食事が僕のものだけだったことにもなんの疑問も抱かなかった。人間と人魚では食べるものが違うのだと信じていたのだ。
イド自身が食事に興味がなさすぎたからこそのすれ違いだった。今は色々あって、イドもそれなりに自分のためにも食事を作るし、食べる。生でなくても海鮮はあまり食べないのは僕が喜んで食べるのでつい分け与えてしまうせいだと聞いたことがあった。
「それで、髪はどうしたの?」
楽しそうに笑うイドの足をテーブルの下で蹴っても、にやにやとしたままで引く様子がない。
銀色にうねる扱いづらいこの髪は僕のコンプレックスのひとつで、それでもイドが好きだというのでどうにかこうにかなるべく短くしながら付き合ってきていたのだが、こんな風に伸ばさざるを得なくなったのはここひと月ほどのことだ。
「……魔法薬学で……」
と、言葉を濁せば、卒業生であるイドも、ああと明後日の方を見た。
錬金術や魔法薬学における事故はナイトレイブンカレッジ名物ともいってもいい。魔法薬というものは繊細でちょっとした量の違いで全く違うものが出来上がるし、怖いもの知らずの生徒たちは迂闊にそれを使っては何かしらの騒動が起きるのだ。
大抵は教師によって速やかに解除薬が作られるのだが、今回は偶発的に作成されたものが毛はえ薬だったために、その合同授業で指導役に回っていた三年生に罰則という名の治験と、反省文と称したレポートの提出が課せられた。
古今東西いつでも求められている二大魔法薬のうちのかたわれだから仕方がないが、短時間で結構な長さになっている時点で絶対に何かしらの反動があるだろうとうちのクラスの意見は合致している。これまでも多種多様な毛はえ薬が開発されては闇へと沈んでいったのにはやはりそれなりに理由はあるのだろう。
なお、もう一つの夢あふれる魔法薬といえば不老不死薬だがこれは薬ではどうにもならないのではというところに最近では結論が落ち着きつつあるらしい。百年くらい前にいた魔導工学の発展に著しく寄与したというイデア・シュラウドという学者が魔法薬が人体へもたらすありとあらゆる効用を検証し纏めた論文の研究が進んだ結果だという。
最初に魔法薬の授業で彼の名が出てきたとき、魔導工学の学者で、という出だしだったので、後に続いた文章の意味を取り損ねた。魔導工学の学者がなぜ魔法薬学の論文を検証に時間がかかるような精度で出したうえに発展にまで寄与しているのかさっぱりわからない。その後、一体どういう人だったのかを調べてみようとしたのだが、開発に関わった技術をはじめとして、各種受賞した賞など名前だけは色々なところで見ることができたが写真は一枚も出てこないし、授賞式での集合写真すらでてこなかった。経歴もかろうじてナイトレイブンカレッジを出ていることが解るぐらいだ。
そのわりに専門である魔導工学はもちろん、専門外であろう魔法薬学や錬金術、はては魔導医療や魔法技術を必要としない航空工学や宇宙工学など本当にあらゆるところに名が残っていたので、とにかく多方面に秀でていたらしい。シュラウドという家名からイドやオルトくんにも聞いてみたが、イドは興味がないからよく知らないというし、オルトくんには情報開示のための権限が足りないと言われておしまいだった。手がかりがありそうでないこの状況が意図されたものだと分かったことだけが収穫といえる。
死後も情報統制してるってなんなんだ、後世の歴史学者がかわいそうじゃないのか、二百年後ぐらいになったら技術的なミッシングリンクが発生してるんじゃないか、技術は残ってるからいいと思っていたのかなどと、調べた直後の勢いでにイドにまくし立てたら珍しいことになんの反論もせずにふらふらと自分の部屋に篭ってしまい、そして後でなぜかオルトくんに謝られた。
世の中に出てこないものはそれだけの理由があるのだと飲み込んだのはそのときだ。
「そうだ、イドに学園長から依頼が」
「断って」
イドが最後まで話を聞かないのはいつものことなので、とりあえず先刻キッチンに投げ捨てたトランクを魔法で手繰り寄せた。
「今、僕が治験に協力している毛生え薬の成分分析なんですが」
「クロウリーが? わざわざ?」
取り出した手紙を今度は無碍にせずに素直に受け取る。メールで寄越せというかと思ったのに、素直に封蝋を割って僕に文面が見えないように開いた。こういうやりとりを見るといつもイドもナイトレイブンカレッジにいるあいだはかなりいろんなことをやらかしてきたんだろうなと感慨深くなる。僕がいうのもなんだが、ごく一般的な一生徒だったらイドの側はともかく、学園長のほうが覚えてないだろう。
「思ったより真っ当な依頼……うーん。アズィー、なんか聞いてる?」
無造作に机に放られた手紙にぎょっとしたけれど、不思議なことにそこに文字が連なっていることはわかるのに、その中身はまるで理解ができない文字列にしか見えない。ということはこれは魔力認証による閲覧資格を持たないものへの認識阻害紙《マジックアイテム》だ。話には聞いたことがあったけれど、実際に目にすることがあるとは思わなかった。どれほど魔力が高くても認証が合致しない限りは読み取れない高セキュリティアイテムのため、作られたのはずいぶん昔だというにもかかわらず今以て重用されている。欠点は送信者が受信者の魔力波長を何らかの形で所有していないと鍵をかけることができないことぐらいだ。魔法士は基本的に秘匿と隣り合わせであるため、鍵として自身の魔力を使うことが多く、滅多なことでは他人に預けたりはしない。僕はこの家の自分の部屋に鍵をかける許可を家主であるイドから貰うために提示しているが、その時のやりとりだってしちめんどくさかった。どれほど相手を信用していてもなんの担保も無しに差し出すのはよっぽどのことがないと難しいのだ。
「聞いてはないけど、治験対象者は契約魔法で秘匿を要請されてる。でも毛生え薬でしょ? そんなに危ないもの?」
「魔法薬って化学薬と違ってファジーに効きすぎるから人体の一部を意図的に成長させる魔法薬って基本的に禁制品で、学生が間違って生成しないようにかなり厳密にカリキュラムが決められてるはずなんだよね。具体的にはカレッジぐらいだと既存に判明しているレシピと五割一致する時点でアウト。禁制薬に関しては魔法薬精製に関する一般資格をすべて取得したあとの上級資格もすべて獲得した後に初めて開示される情報で魔力なしに対しては絶対の口外禁止の誓約も必須だからアズィーも知らないふりしておいてね。拙者に来てる依頼は、既にあるレシピの近似品なのか全く別のアプローチからの成功品なのかの判定依頼っすな」
ものすごくあっさり聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。これまで作られかけては失敗作扱いされてきたのだと思っていたが、これは違うな。成功して隠匿され続けてきたのだ。技術的に作れないものではないとは思っていたけれど、そこまで制限をかけているということはおそらく生徒でもその手のものを作りそうなものは別途注意勧告を受けるのだろう。魔法士にかけられる制限の多くは根本的には魔法士の保護を目的としたものだ。
「知らないふりでいいの?」
「アズィーが知ること自体は別に。以前の誓約生きてるし」
以前、の言葉にきゅっと唇を噛んでいる間にイドはいつの間にかどこからか取り出したペンで流れるように開いたままだった手紙に何かを書きつけた。そしてインクが乾くのも待たずに最初とは違う形に畳むと同時に、ふわりと鳥の形を取ってどこかへと羽撃いていった。おそらく学園への召喚状と同じ仕組みのものだ。それができるならイドへの連絡もそれでと考えかけてすぐに却下した。学園長から届いた手紙をイドが自分から読むはずがない。
と、考えていたことがわかったのかイドがじとりとこちらを睨んだ。
「言っておくけど、本当に秘匿したいことはどんな形であれアウトプットしないことが一番だけど、誰かに伝えたいのなら紙はすごく有効だからね。個人宛のメールであろうともネット経由は絶対にしちゃだめ」
一度電子の海を通ったものは拾えるからねと何でもないことのようにイドがいうことが、概ね本当なのだと信じるようになったのはいつ頃からだっただろうか。イドは自分ができることを必要以上にはひけらかさない。できることはできる、できないことはできない、で終わりで、たまにそのできないことを補うものを作ったという報告をよこす。大体はものすごくどうでもいいものだけど。箒を使う飛行術が苦手だからと空飛ぶ靴を作った、とか。いや、すごいんだけど動機がどうでもいいというかなんというか。なお、靴だけでバランスをとるのが難しすぎてイドでは空を飛べなかったので、僕のものになった。
「だからイドはメールしないの?」
どうせ見ないとイドが言うので僕はイドの個人的な連絡先を何一つ知らない。手が空いたときに遊んでいるらしいソーシャルゲームやネットゲームのアカウントさえ、何一つ。一緒に住んでいるならともかく、ナイトレイブンカレッジに入学して家を離れると決まったときに改めてたずねても無駄で、取り付く島もなかった。見かねたオルトくんが自分あてに連絡くれれば責任持ってイドに届けてくれると申し出てくれたので、僕は日記のように毎日何かしらを書いては送りつけた。
「拙者はね、アズィー。メールの相手をしてくれる人がいないの、今」
メールボックスにはスパムだけが溜まってるってわかってるから開く気も起きない、とイドは言うと椅子に座ったまま器用に姿勢を崩す。
「以前はメールでチェスを打ったりもしてたけど」
じとりと僕を見てくる目は暗い。イドがこういう言い方をするときに思い浮かべている相手はただ一人だけだ。
「……僕はアズールじゃない」
「君はアズールだよ」