ライフマイライフ 01(にゃんちょぎ/あしびきの夜のだいぶ未来/にゃんちょぎのこども)
千菜にはふたり、父親がいる。名前はそれぞれ南泉一文字と山姥切長義というけれど、千菜はどちらもただお父さんと呼ぶ。物心ついたときにはそう呼んでいたので、ある日、父親たちに同じように呼ばれて混乱しないのかと確認したことがあるのだが、ふたりともどちらが呼ばれたのかはわかるから気にならないと言った。己の名に一家言あるらしい山姥切長義でさえごく平然と千菜が呼びたいように呼んでいいというので、気にせずにお父さんと呼び続けている。
普通、こどもは父親と母親がいて産まれてくるらしいのだが、千菜に母親はいない。母親という概念を知ったときに南泉一文字にたずねてみたのだが、千菜の「母親」というのは既に亡くなっているのだと裏山の見晴らしのいいところに建てられた墓へと連れて行ってくれた。それまで意味もわからず年に一回連れられて来ていた場所がその日から少しだけ特別になった。お墓というのは死んだものが眠る場所なんだということもその時に知った。結局、母親がいないからといって父親がふたりもいる意味はわからないままだったがそういうこともあるのだろうと思っている。
なんせ、父親と一緒に暮らしているのはここには千菜しかいない。小烏丸は「すべての刀剣の父のようなもの」というがそれは比喩であって、血族という意味ではないからだと、小烏丸自身が言っていた。だから千菜は小烏丸を父と呼んではいけないのだと彼自身にさとされたことがある。そのとき彼は南泉一文字も山姥切長義もいない時でよかったと少し困ったように笑っていた。かわりに、千菜には兄と呼ぶ相手がいっぱいいる。おじも、祖父もだ。インフレだと唯一の姉が笑っていた。
姉は、正確には父たちの主だという。おばちゃん、と自分ではいうけれど千菜はお姉ちゃんと呼んでいる。主というのもおねえというのも姉の名前ではないと知ったときはとても驚いた。千菜にとっての千菜、父にとっての南泉一文字や山姥切長義のように、姉は主か姉だと思っていたのだ。誰もが主としか呼ばないので、主かおねえという名前だと思っていたと千菜がいったら、姉は死ぬんじゃないかと思うほど笑いころげた。あまりに笑うので、城中からみんな集まってきてしまって困ったが、なんとか事情を説明したところ重々しくうなずいた大包平が説教だと姉を担いでいってくれた。名前はあとで教えて貰った。
今は戦のさなかだと千菜が実感することはあまりない。砦であるこの城から出陣したものたちは確かに怪我をして帰ってくるけれど、手入部屋というところであっというまに直ってしまうし、いつまでも血の匂いが蔓延していることはないからだ。ただ千菜は同じようには直らないからわざと怪我をしないようにとは誰からも口を酸っぱくするほど言われている。これに関しては一番厳しいのは姉で、逆にあまり言わないのは父たちだった。こどもが怪我を一つもしないまま育つなんて無理だ、と父たちは言う。姉は「人の体は脆い」とくどいほどに言うけれど、人の体はちゃんと自力で治癒するし、傷痕が残るのは仕方がないことなんだそうだ。実際、千菜はわりとよく怪我をした。木を上っては落ちたり、馬と競争しようとして勢いよく転んだり、包丁を扱おうとして指を切ったりは日常茶飯事で、その度にまたやったのかと笑われながらも医務室で薬研藤四郎が丁寧に手当てをしてくれる。たまに手に負えないからと外の病院へ行くこともあったけれど、そこまでの怪我をすることはごくまれだった。
千菜は普段は砦の外に出ることはない。年一回の定期検診だけは父親ふたりと外に行くが、それだけだ。学校へは遠すぎて通えないので、教育は砦の中で受けている。教師は刀剣男士たちが手分けして受け持ってくれていた。千菜が学校に上がる年齢になるまでに希望の刀剣男士が教職課程を受けて、教員免許を取ってきてくれたのだ。人の都合で人の形をとることになった刀剣男士たちには実は職業選択の自由こそないものの望めば副業につくことは許されている。