オボルスのこどもたち 01.(ついすて/イデアズ/未来パロ/ありとあらゆることへの捏造/イデア、こどもをひろう)
0.
助けて、ということばはもうずいぶん前から声にならなくて、喉からはただひゅうひゅうと命がこぼれる音がしていた。
体もとっくに動かせない。ぼろきれに包まるだけでは寒さはすごせなくて、まずは手足が動かなくなり、きっとそろそろ心臓も動かなくなる。
おかあさん、と声にならない声で呼んでも応えてくれるひとはいない。母はいつだって自分を顧みることなんてなかった。
役に立たない、ごくつぶし、気味が悪い、あんたなんて産まなければよかった。かけられる言葉はいつだって決まっていて、けれどごくまれに優しい手が撫でてくれた。
自分が死んだらあの手は今度はなにを撫でるのだろうと考えて、すぐに今こんな時に思うことじゃなかったとおかしくなる。
目を開いているのか閉じているのかすらもうわからないから、今が昼なのか夜なのかもわからない。いつもと変わらない饐えた匂いだけが自分を包んでいる。とっくに空っぽで胃液すらも入っていないお腹から何かが出てこようとしたけれど、既に咳き込む体力すら残っていないのに苦しさだけが増える。
どこかでぱちりと何かがはぜる音がした。
今は冬で、乾いているからどこかで火がこぼれたらあっという間に広がってすべてを焼き尽くすだろう。
それはいいな、と思う。それならここで惨めにも動けなくなっている自分だけではなくて、すべての人に平等に死が降り注ぐ。
ぱちり、ぱちりとすぐ傍からその音は聞こえてくる。
それは、たしかに魂《いのち》が焼ける音だった。
01.
アズール・アーシェングロットにイデア・シュラウドから連絡が入ったのは、珍しいことに現地時間で夜中の三時すぎのことだった。常識外れの入電には碌なことがない。なによりも碌でもないのは、絶対に碌でもないのに取らないと後悔するということがわかりきっていることだ。コールしてきた本人であるイデアは自身が夜更かしはするが、人の睡眠を削るようなことはしない。非常識な時間に連絡してくると言うのはそれだけの理由があるのだと知っていた。
「もしもし《ハロー》」
『今すぐ夕焼けの草原まで来て。エアの手配はしたからまずは身ひとつでそこの近くの空港――えーと赤煉瓦空港か。そこまですぐ来て。君の今いるホテルに車は回した』
挨拶《ハロー》の一言もなくよく知った耳に馴染む声が一息にまくし立てた。思わず時計を確認するが何度見ても三時過ぎだ。相手の住む嘆きの島にしたって、移動先に指定された夕焼けの草原にしたって時差を計算してもどこも真夜中と言って差し支えがない。
「は?」
『君のことだから荷物は広げてないでしょ。もし忘れ物があってもなんとかはするからとにかく来て。詳しい行程は別途テキストで送るから車の中ででも見て。これは依頼だよアズール・アーシェングロット。交渉を頼みたい』
その一言で目は覚めた。
「承りましょう」
何もかもがわからないけれど、一つだけ、依頼人が可能な限り早く来いと言ってきていることだけはわかれば十分だ。掌の中にあったスマートフォンをいじってハンズフリーに切り替え、あたたかな寝台を抜け出した。
他に今のうちに聞いておくべきことを確認しつつ、最低限の身支度と荷造りをする。状況に合わせて着替えを要求されたナイトレイブンカレッジでの経験のせいで、マジカルペン一振りで装いを変更できてしまうので身づくろいといってもそうすることはない。
仕事の上でも幸いにも連れてきている部下に今回の商談の全権を託すことへの不安を抱く必要はない。采配の詳細は空港へ向かう車の中でまとめても間に合う。
最後に探査魔法をかけて忘れ物がないかを精査するついでに落ちた髪の毛などの呪術の媒介になりやすいものをまとめて焼き払ってから部屋を出た。
依頼の電話を取ってから、実に十五分後のことだった。
世界有数の財団モストログループ総裁、あるいは、相応の対価を支払えば望みを叶えてくれる慈悲深き海の魔女としてアズール・アーシェングロットは有名だった。しかし彼にはもう一つあまり一般には知られぬ姿がある。ごく一部の者たちには恐怖をもって囁かれるその名は、世界有数の魔法士にして交渉人としてだった。