私だけを呼ぶ声

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それが幸福の所在なれば

 まるで雛鳥みたいだねと言ったのは燭台切光忠だった。
 こどもではないから厄介なのだとは大倶利伽羅は答えなかった。


 膝の上で白い塊が険しい顔のまま眠っている。
 長い一日から目覚めた後から、鶴丸国永は少しでも大倶利伽羅が視界から消えることを嫌がるようになった。最初は厠にまでついてこようとしたので、今は多少はマシになったものの、それがただ単に不満を飲み込んでいるからだということを知っている。擬似的な離別は互いに責がなかったとはいえ、取り残される形になった鶴丸国永には深い傷を残した。どこへいくにも後をついて来て服の端を握って離さなかったり、こうして眠っているときにまるで安らいだ風がなかったりわかりやすいのならまだいいほうだ。
 本当に怖いのは表に出ない傷が残り続けることだと知っている。
 たとえば、夜の間、閉じているはずの襖を閉じることができなくなった。鶴丸国永が何度も目を覚まして開けてしまうからだ。それから、手を繋いでも指が絡まなくなった。朝食の量も大倶利伽羅にとってすこし少ないままだ。指摘すると、気をつけると返ってくるのだが、すぐに戻ってしまう。それになによりも、昼をほとんど眠って過ごすようになった。夜に眠れぬ分を取るために昼に眠るから余計に夜も眠れない悪循環だ。
 これまで過ごしてきた時間からするとたった八年ほどの時間が、人の体には何よりもおおきいのだろうと、相談を持ちかけた大倶利伽羅に主は告げた。
 過ぐる時間でついた傷は時間薬でしか治らないという。だが、この中有はいつまで続くとも知れぬ。癒えぬままの再びの別離は、今度こそ鶴丸国永は永眠を選んでしまうと知っていた。
 名を呼べば起きるは、言い換えれば呼ばれねば起きぬということだ。
 出陣が言い渡されない限り殆どの時間を大倶利伽羅の膝上で永眠を貪る鶴は、名を呼ばれたときだけ目を覚まして寝惚けたまなこで悪夢だと呟いては、心の底から幸せそうに笑う。感情が一緒に伝わってしまうからいやだと普段はほとんど呼ばぬ名をとても素直に口にして、起きようと言ってもう一度眼を閉じる。名を呼ぶのが間に合えばそこでちゃんと起きるのだが、放置すると本当に眠ってしまう。
 だから、大倶利伽羅はもうあまり無理には起こさないことにしている。
 手を掴まれなくなったせいで自由に動かせる右手で絡まっている白い髪を梳く。細くて繊細なのに持ち主がただの付喪神であった頃の感覚のまま、ぞんざいに扱うので見ていられなくてついつい整えてしまう。そんなに気に入っているのならやろうかとざっくりと切られたこともある。その時にはそういうわけではないのだとこんこんと言葉を尽くして説教をしてから、主に断って手入れ部屋に投げ込んだ。仕方がないので髪は懐紙に包んでしまってある。
「おじゃましやす」
 誰何の声を出す前に、客は突然入ってきた。
「明石国行」
 来派の保護者だという新参者のこの刀は、長い一日のおわりに鶴丸と誼が出来たとかでちょくちょく三の丸の奥までやってくる。
「今日のおやつですよって」
 手にしていた盆を部屋の隅に避けてあった文机に置いてから、机ごと大倶利伽羅と鶴丸国永の傍によせた。盆の上には保温性の高い急須に、みっつの湯呑みが載せられ、皿の上の菓子はやはり三人分だ。
「いつもすまない」
「自分、ただの野次馬やかさい」
 後味悪いんもありますけどと言葉を飾らぬ物言いは気を使わなくて楽でいい。鶴丸国永は起こさなくていいと言われて素直に言葉に甘える。
 会話はいつもあるというわけではない。その割に気詰まりになることもない。
「やっぱり首ぐらい撥ねといたほうがよかったんとちゃいますかね。なんたって開口一番『夢と知りせば覚めざらましを』ですやろ」
「心臓一突きは十分でないのか」
「せやけどこうもぐうぐう寝てんの見るとやるせないですわ」
 鶴丸国永がすきあらば寝るようになって一番変わったことは、朝に、食堂に一番に行くことがなくなったことだ。ゆっくりと目を覚まして、ゆっくりと支度をして、ゆっくりと庭を散歩して食堂に向かう。
「俺は、こうして寝ているのを見ると昔を思いだす」
「仙台の頃です?」
「ああ。一度眠ると、平気で何年も寝ていた。状況は違うとはいえ、短期になったものだ」
「……人の体はままなりませんからなあ」
 誰かに話すつもりのないことだったが、するりとこぼれたものをことさらに騒ぎ立てもしない明石国行の応対は有りがたかった。
 茶を一杯飲み終えると、彼は席を立つ。
「ほなまた」
「ああ。――あんたは」
「ん?」
「いや、なんでもない。ありがとう」
「おおきに」
 ぺたぺたと足音が去っていく。
 明石国行がここへと来るのは誰に頼まれたものでもなく、鶴丸国永というよりも、大倶利伽羅の様子をうかがうものであることはいつからか知っていた。無駄に構うわけでもなく、心配をするわけでもなく、隣近所のこどもがひとりでいるから挨拶するかのような軽さで訪うので過剰に反応することもなくただなんとなく受け入れてしまう。
 なんだかんだいいつつも、愛染国俊も蛍丸も頼りにしている理由がよく分かる。
 たしかに彼は保護者であるのだ。

     §

 本当は、時間薬より何より効く劇薬の存在を知っていた。
 昔、眠ってばかりいた彼を自分が無理矢理に起こしていたような約束をひとつ、取り付けてしまえばいい。互いにそばにいる理由を探さずとも一言で済んでしまうような約束を。それがどれほど欺瞞に満ち溢れていても、この地にいる限りはきっと鶴丸国永を起こす。
 けれども、そうやって名前をつけて縛ってしまったものの裏に切り捨てなければならぬものもあって、それを惜しいと思ってしまううちは、どうにもならぬと知っていた。

 だからまだ、それがいずれ辿りついてしまうところだとしても、名を付けずに置いておくしかないのだ。

2015.08.30 | 四百四病の外(くりつる) | Permalink

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