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どうせ無意識なんだろ/夜を拾うこども

■夜を拾うこども
 いつだってたりないものはひとつだけ。


 ごうごうと白が埋め尽くす庭を、てんてんと裸足のまま軽い足取りで白い鶴が先を歩く。地面に残る足跡を踏みにじるようにしながら黒い龍はあとに続く。
 それは、慣れた道行だった。

§

 雪の吹き荒ぶ庭は昼の穏やかさとは裏腹に、容赦なく牙を剥いてきた。月の灯は分厚い雲に遮られて届かず、暗闇の音を吸い取って白いものが舞っている。
 寒さを感じることと、寒さに凍えることの違いを大倶利伽羅が知ったのはごく最近のことで、目の前ではそのときと同じように鶴丸国永が雪に埋もれている。違うのは、相手が雪に対して何の反応も示さないことだ。
 真夜中に彼が部屋を抜け出し、外を歩き始めたことに気付いたときにかろうじて着せ掛けた綿入りの夜着が濃い色であるため、目を離した途端に視界のきかない夜の闇にとけていく。鶴丸国永は起きているときはこれ以上はないほど煩いと感じることも多いのに、こうした夜には驚くほど存在が薄い。
 大倶利伽羅がこんな風にまるで夢の中をゆくかのような鶴丸国永の後をついて歩くのは、ひどく久しぶりのことだった。
 けれども、今も昔もふわふわと先を行く白い影が振り返らないことには変わりなく、凍える風を感じなければ今でもあの奥州の庭にいるかのようだと目を伏せれば、それだけで眼裏に蘇るものがあった。

§

 かつて鶴丸国永が奥州へとやってきたときには、ひどく静かな刀だった。
 紆余曲折があり、多少存在が濃くなった後にもあらゆる付喪神たちが元気でやかましかった城の中ではその静謐さはすこし異質ではあったが、細かいことを気にしないものたちの中でことさら浮くこともなく、だが、あまり馴染むこともないままよく城の屋根にいた。
 たまに、見える人間があの白い靄はなんだと騒いだが、ただじっとしているだけの影にはそのうち皆慣れた。たやすく触れるところにある怪異ではなく、とくに障らぬものでもあったからだ。
 付喪神たちもまた鶴丸国永と関わろうとするものは少なかった。初めの印象が悪すぎたのと、鶴丸国永が囚われている空隙に心当たりのないものはほとんどいなかったからだ。大倶利伽羅がかまいつけ続けているのは成り行きのようなもので、さして深い理由はない。それでも、自身から近づかなければ鶴丸国永は寄ってくることはないのではないかとなんとはなしに思っていた。
 真白の付喪神は今日も屋根の上で風に羽織を遊ばせ、頭に雪を積もらせて立っている。物質と違って温度を持たぬ身であるから溶けることのない白が遠慮なく高い塔を築いていた。人の形をとっているとはいえ、現身を持たぬのだから風も雪も本来ならば障らない。それなのに、好んで人を真似るのは鶴丸国永の性だ。しかし中途半端に雑なことをするから足元は積もった雪をすり抜けているのも少し離れたところから見てもわかった。
 その傍にさくりと雪を踏んで近づいたのは気が向いたからだ。
「どうした、伽羅坊」
 白い頭に白いものを載せたまま、鶴丸国永が不思議そうに声をかけてきたのは意外だった。こうやって屋根の上でぼんやりしているときには、周囲で何かあっても反応することは珍しい。
「どうもしない」
 佇む彼の足元に雪をかき分けて座り込み、同じ様に城下を見下ろしてみる。しんしんと降る雪が視界いっぱいにひろがり、見通しは悪い。それを飽きもせずに見続けるものに何が見えるのかと問うても答えは濁されることは知っていた。
 それでもたまにこうして並んでいれば同じものが見えるかと期待する。実際に見えるものはただ振り込める雪だけだとしても、わかったような気にもなった。
 鶴丸国永もそれ以上の言葉をかけてくることはなく、ただ二振りで短い冬の日が暮れるまでそのまま時を過ごした。

§

 戦うものとして勧請され、受肉した状態で雪に触れたときにはこれほど冷たいものだったのかと驚いた。
 付喪神であるとはいえただの刀であるだけだった頃にも全く温度を感じ取れなかったわけではないが、人の体よりは外気に左右されにくい。火が持つような高温や冷たさのあまり鋼すらも収縮するような低温でなければ本体にも影響がないからだ。ただ、生まれる時はその炎に焼かれるが、刀は基本的には火に弱い。ゆえに、基本的にはあまり火には近づかない刀のほうが多い。
 今の主のもとであればよほどの損壊であっても修復されるとわかっていても刷り込まれた恐怖は消えるものではないから、当然だろう。気にせず近づくものはなぜか、一度炎に焼かれているものが多かった。人の身であればただの刀であった頃と違って自在に距離が取れるという理屈はわかるような気はしたが、それで他のものも近づいてみるかというとまた別の話であった。
 それに比べれば、雪の冷たさというのはとっつきがよく、雪に埋もれたことがあるものもないものも程度の差はあれども白い塊に手を伸ばした。
 ひときわはしゃいでいたのはいちばん最後まで人に使われていた幕末の刀たちであった。人の子がするような遊びをしようといい出したのも彼らで、庭にいくつも並ぶことになった雪だるまもその手によるものだ。
 夜になって再び降り始めた雪は激しく、部屋の中にあっても芯から凍えるような寒さになった。人の体を受けて寒暖がわかるようになっても、人の機能が全て備わっているというわけではなく、例えば冷たさのあまり凍傷になったりはしない。ただ凍えれば動きはぎこちなくなるし、火に触れて燃えればちゃんと焼ける。
 だから、深夜に隣室の襖が開く音を聞きつけたのと同時に夜着を掴んで後を追った。ふわふわと彷徨い歩く男が凍えて倒れたら連れ戻す役目は自分にかぶさってくると分かっていた。
 声はかけずにただ腕を掴んで強引に夜着を着せる。ぼんやりしているときには、声をかけても届くことはない。届かないのだと、遠い昔にもう刷り込まれてしまったのだ。

 ゆえに、名を呼んだことはなかった。
 いらえがないことが何よりも怖かったから。


■無意識
 何もかもが静かにとざされるような雪が好きだった。
 冷たさを知る前も、知ったあとも変わらずに。

§

 何もかもに疲れ果て、倦んですべてを捨ててしまおうとしたときのことはもうよくは覚えていない。
 それが記憶に明瞭に残るようであればその様に自暴自棄に陥ることもなかっただろうからしかたがないだろう。けれど、その頃に必死で声をかけてくれたもののことは憶えていた。最初は熱心に書けられた声はやがて力を失っていき、最後にはめったに聞かなくなったけれど、気配はいつでも傍らにあった。
 今なら分かる。こちらが応えなければ期待しなくなることも、傍らにあってくれただけでも稀有なことだと。
 だからこそ何も聞こえないでもおかしくないところを求めた。

 本当は、ただ、自分から呼べばよかった。
 会話が打ち切られることが怖かったのだと知ろうとしなかった己が愚かだったのだ。

2018.03.24 | 200年組 | Permalink

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