眠れない夜が明けた朝の
一睡もできずとも朝は来る。
日の出からすこし経った頃合いに、目覚めのいい古馴染みが覚醒し、隣に転がっている部屋の主を認めてバツの悪い顔をしたのを確認して、南泉一文字は隠すことなく大きく欠伸をした。ついでにすっきりした顔をしている山姥切長義を寝台から蹴り落とす。
「風呂は?」
「寝かせろ、にゃ」
寝起きからちゃんと頭の回る古馴染みは蹴落とされたことに言及することもなく、いくつかの最低限の確認だけをしてきたので、よろしくと声を出すのも面倒で手を振った。そのせいで剥いだ形になった掛布をもとに戻すのも面倒で、くるりとまるくなれば密やかな笑い声と肌触りのいい寝具が降ってくる。
「おやすみ」
静かに襖が閉じられる音を聞きながら目を閉じれば、意識はすぐに闇に落ちた。
夢も見ない眠りは、長いようで短かった。
時間をおいて支度を整えてきた古馴染みは、戻ってくるとすぐに遠慮なく南泉一文字を叩き起こしてきた。食って掛かるほどの気力もなく、差し出された蒸しタオルをおとなしく受け取って顔を埋める。暖かな蒸気は疲れ切っていた目に心地よく、そのまま着たままだった戦装束を脱いで全身も拭いて、渡されるままに部屋着を着込む。ここ数日、着たきり雀だったので洗いたての布の肌触りがありがたい。
仮想現実空間とはいえ、本来人の体を持たぬ付喪神たちに人の体を疑似体験させるために、莫大なリソースを割いて日常生活を暮らしていく上でどうしても向き合うことになる汚れは付加されることになっているのだ。人の体のみならず、床には塵だって積もる。普段は毎日着替えて掃除をするから気にならないのだが、たまにこうして人による謎の心遣いの存在を思い知る。
どうにか支度を整え終えたが、正直欠伸を噛み殺すのも面倒になってきて布団に戻りたい気持ちでいっぱいだ。時計を確認すれば多少は寝れたようだったが、数日分としてはまだまだ足りない。全員参加が義務付けられている朝食を取るために、食堂まで赴くのも面倒だ。同じ二の丸にあるとはいえ、自室が端のはしにありすぎて歩いているうちにどこかで寝落ちる気がする。
山姥切長義を一度部屋から追い出してもう一度眠るか検討していたら、パーカーを着せられて、無言で背負われたのでおとなしく力を抜いた。俵担ぎされないだけましだ。あれは腹を圧迫される。
適度に揺れる背中のうえがまた眠気を誘うので目を閉じて欠伸をこぼしているうちに食堂に着いたのが、襖が開けられる音でわかった。
「どうした、山姥切長義。南泉と喧嘩でもしたのか?」
生真面目な声に目を開ければ、ちょうどへし切長谷部も来たところだったらしく、膳を手に立っていた。
「うん? おはよう長谷部くん。喧嘩をした覚えは特にはないかな」
全員集合する関係で、配膳には時間と手間がかかりすぎるためそれぞれの膳はそれぞれが厨にて用意してくる決まりだ。膳には食事が冷めないような仕掛けを施してあるので、刀剣男士が食堂に赴いてくる時間はかなりばらつきがある。
へし切長谷部はどちらかといえば早いほうで、食堂内はまだ閑散としていて、食事が始まるまではまだまだ掛かりそうだった。
そういえば厨には寄ってこなかったから、気の回る古馴染みは二振り分の食事はすでに席と共に確保してくれているのだろう。それだけお膳立てをしてくれているのなら、やはり自分は二度寝ができたのではと思うも、眠気と疲弊であまり生きていない己の支度時間に余裕を見たのと、普段は連れ立った行動をあまりしない自分たちがあまり目立たない時間に動こうとした結果だということはわかっていたので口には出さずに、欠伸をこぼす。
「おはよう、長義の。南泉と喧嘩か?」
「してないよ、愛染くん……おはよう」
話しかけてきた愛染国俊が明石国行に窘められるのを横目に、思ったとおり出入り口近くに用意されていた膳の前に降ろされた。体に力が入らなくて液体のように溶けていたかったが、下手に横になると当然のように隣に座した古馴染みに突かれて起こされるので、諦める。
「ねむい」
「はいはい」
せめてもの抵抗に立てた膝の間に顔を埋めていたら、パーカーのフードが頭がふわりと被せられた。かわりに、手首を握られたが、それぐらいならまだ我慢できる。
人の体があるというのは、不便なことと便利なことが表裏一体だとこういうときに強く思う。体があるからこそ不安に陥るのに、自分のものではない体温でごまかせることだってあるのだ。
「山姥切おはよーう! 南泉と喧嘩しました?」
「鯰尾まで……してないよ。おはよう」
「ですよねー。いやあ、おんぶしてたって聞いたからつい」
なんだそれはと、まともに働いていない思考回路で考えるも、話に加わるために頭を上げるところまでは辿り着かない。
「喧嘩はともかく、俺のせいで猫殺しくんは眠れなかったからね。面倒ぐらいは見るさ」
勝手に南泉一文字の部屋に入り込んでいたところから、徹頭徹尾山姥切長義のせいであることには異論はない。
「――あれ? 南泉、今朝もどってきたんじゃないんです?」
「夜中だったよ」
古馴染みたちの会話をぼんやりきいているうちに、いつの間にか全員が揃っていたのか、いただきますの唱和が響いたので、膝をおろして、手を合わせる。南泉一文字の膳には大きめの器に入った味噌汁だけが用意されていた。徹夜明けの疲れ切った体に出汁のやわらかい暖かさがじんわりと染み渡って少しだけ目が覚める。具が殆ど入ってなくて、箸を使う必要もないのがありがたい。
「ごちそうさま、にゃ」
片付けは用意とおなじく寝不足の元凶がするだろうと、空になった椀を膳の上に戻して席を立つ。朝食の席は集まることにのみ意義があって、特に伝達などがあるわけではないから、食べ終わると同時に外へと出ても問題ない。
「あっ、南泉どこ行くんですか?」
襖に手をかけたところで、ズボンの裾が引っ張られて、鯰尾藤四郎も近くで食事をとっていたことを知る。どことなく焦った様子に珍しいなとは思うけれど、どうしても今は眠さが先に立つ。
「そいつが入れないとこで寝てくる……にゃ」
空っぽだった胃に汁物だけとはいえあたたかなものが入って、わずかばかり体力が回復したけれど、同時にくちたおかげでさらに眠い。
「鯰尾、放す……にゃ」
足を動かそうにも動かせなくて、何度か名を呼んでようやく渋々手を離した鯰尾藤四郎の様子は気にならないでもなかったが、思考能力が低下している今、深く考えるのは後回しだ。
「猫殺しくん、おやすみ」
「にゃあ」
どことなく機嫌の悪い山姥切長義に内心首を傾げながらも、後ろ手に襖を閉める。
目指す場所は最初から決まっていた。