外野が無責任に憶測することの
「……ありがとうございますあるじ……」
常にない緊張感に満ち満ちた朝食も終わり、鯰尾藤四郎、物吉貞宗、後藤藤四郎は揃って主の執務室へと呼ばれていた。部屋には他に近侍の明石国行といつものおまけの一期一振もいる。
それなりに広い室内に誂えられた応接セットのソファを一つ占拠してぐったりとしているのは鯰尾藤四郎だけで、ほかは思い思いの場所に座っている。
「南泉が寝てる部屋以外に山姥切長義が寄り付かない部屋ってここしか思いつかなくて……ほとぼり冷めないと思うけどちょっとでも英気養っていって」
どこか楽しそうにしている主は両手で包むように持った湯呑をゆっくりと傾けた。執務室の襖は主の意向でいつでも開かれているけれど、だからといって野次馬が無遠慮にたかることもない。そういった分別を全員が最初から身につけているわけではなく、それぞれ何かしらの折に主に諭されて学んでいくだけだ。
「あれ? 事情きかれるんじゃないんですか、俺たち」
明らかに、南泉一文字がどこにいるのかを理解している発言に、鯰尾藤四郎が首を傾げる。怒れる山姥切長義から匿うだけなら物吉貞宗と後藤藤四郎まで呼ぶ必要はない。
「ないない。呼んだのは、物吉が鯰尾に何か言いたそうだったからだし、それなら後藤もいたほうがいいかなってだけ。俺はたぶん、この件に関してはうちのほかの誰より詳しいので」
どういうことなのかと三振りで首を傾げていたら、応接セットではなく文机にいた明石国行が口を挟んだ。
「普段から南泉の部屋にいりびたっとります」
「え、どうやって」
「普通に、訪ねてらっしゃいますよ」
弟の疑問に今度は一期一振が答えた。南泉一文字の部屋を訪っては猫と遊べた楽しい、とうきうきして過ごす主の行動はわりと筒抜けである。
「ふつう」
「遠くて通うという発想がそもそもなかったぜ」
「後藤と違ってボクと鯰尾は、建屋はおんなじなんですけどねえ」
顔を合わせるときには二の丸の端のはしに居を構える二振りのところへ赴くよりも、一の丸に住まう後藤藤四郎も含めて五振りのそれぞれの部屋から等距離の辺りに作った尾張部屋のほうに呼び出すことのほうが多い。個々の部屋よりも、申請して作れる茶話室のほうが広くて簡単な給湯施設もついていて居心地がよいからだ。
「犬騒動のときに通ってた習慣が抜けなくてつい……誰も来ないし日当たりいいし居心地よくて。猫《はんぶん》もいるし。はんぶん、部屋にいるだけならまっぷたつじゃないし」
指折り数える主にそれぞれが心当たりを記憶から引っ張り出した。
「ああ……そういえばあの頃、南泉が来るやつ来るやつ皆が楽しそうにはんぶんにかまっていくから、煮干しの消費が激しくて困るって言ってました」
「そうそう。それ聞いた山姥切が嬉々として煮干しの定期購入始めちゃって、南泉が頭抱えてた」
南泉一文字のちいさな猫を羨ましがって、自分のための犬を欲しがった山姥切長義に端を発した揉め事は、最終的に城に一匹の犬がやってきたことによって、ようやく収束したばかりだ。
とはいえ、この仮想空間内で飼える犬はもちろん本物ではない。
もともとはホームオートメーション用AIでしかなかった南泉一文字の猫と違って、犬の方は市販されているペットプログラムを、仮想空間といえども特殊なこの城に合わせて調整を施したものだ。犬を飼いたがった審神者は初めてではないらしく、一度、城内で話がまとまったあとはあらかじめ南泉一文字が手を回していてくれたおかげもあって実装までは早かった。
「結局、ゼンて山姥切の犬じゃないんですよね?」
「誰のって言うなら俺のだよ。南泉が命令系統の一番上に置いてくれたから」
はいはい、と胸を張る主は最初こそ慣れない大型の犬に尻込みしていたけれど、プログラムどおりとはいえ一番に慕ってくる様子にあっという間にほだされた。現実空間では犬も猫も触れ合えないので、四年近く過ごしていた仮想空間に対して初めて万歳したし、今では執務室で分担している世話係当番の中にもちゃっかり混ぜてもらっている。
「大将は俺たち全員の大将だもんな」
「そうだよ」
本来、犬は厳密な階級のもとに生きているのに倣っているのと、加えてシステム上において命令の優先権をはっきりさせておく必要があるため、名実ともにこの城の主を登録しておく必要があるのだと主は聞いた。ついでに聞いたゼンのなかでのヒエラルキー最下位が誰なのかは黙っておく。
「でも名付けは山姥切長義がしたんだよ。南泉は甘いのか厳しいのかわかんないよね」
甘い、のは要望通りの犬を用意したことで、厳しい、のは容赦なくヒエラルキー最下位においたことだ。山姥切長義と主は互いにゼンの周りをうろつくので以前よりは顔を合わせる回数が増えたが、その度に大きな犬に飛びかかられて地面とこんにちはしているところを見るのでこれまでとは別の意味で気まずい。
「あれは面倒がりなだけだぜ」
「でも山姥切長義のお願い結構聞いてない? はんぶんが動き回るのも煮干し食べるのも後でつけた機能だって、ゼンの調整しながらいってたけど」
はんぶんは最初は動き回るどころか、部屋の長持に貼り付けられたアイコンだった。そのうち、切り口もみごとなまっぷたつの猫になり、肉が見えて生々しいよりはとふさふさでまっぷたつの猫になり、最終的には部屋の中では首にリボンを巻いているちゃんとした一匹の猫になった。いまでは煮干しも食べる。そして、その過程すべてに山姥切長義の意見が反映されている。
「同じぐらい、山姥切にわがまま言ってるはずですよ。ここでは端っこの方で暮らしてますしボクたちもそんなに詳しくはないんですが、借りは押し付けて返させるものって二振りとも、以前から言っているので」
「そっかあ」
あまり二振りが揃っているところに居合わせないから、南泉一文字が譲っている姿の方を多く見ている気がするのは仕方がないことかもしれないと主は思う。
「そうそう。部屋の我儘は南泉だろ。付き合い悪いもんな」
「そういえばさあ、俺、山姥切来てから暫くの間、色んな刀から山姥切はなんであんなところにって聞かれまくったんだよね。本刀は日当たりがよくていいって言い張ってたから裏があるんじゃないかって……。勝手に代弁すると大変なことになりそうだったから確認して全部山姥切に対応回しましたけども。部屋は! 本人の! 希望!! だいたいあのとき主それどころじゃなかったじゃないですか」
「俺?」
拳を振り回すほど元気になったらしい鯰尾藤四郎から唐突に話題に放り込まれて、主は首を傾げる。山姥切長義の顕現時以降一月ほどの記憶は、主にはあまりない。ずっと見ないふりをしていたトラウマとコンプレックスに直面して、一時期は仮想空間へのログインもドクターストップがかかっていた。
近侍である明石国行とだけは毎日連絡を取っていたが、基本的には主自身の安否確認だけしかしていなかった。何が起こっていたか把握していた明石国行が口をつぐんでいたのなら、それは主が知らぬままでもいいと判断されたということだ。
「一足先にゲームの方で話題になってたんですよ。山姥切さん、モンペ多いから」
「モンペ……?」
鯰尾藤四郎のいう「山姥切さん」は山姥切国広だ。まだ、励起された刀剣男士も少なくて、一の丸しか使っていなかった頃に呼び名で揉めに揉めた結果、そう落ち着いた。
それはそれとして、山姥切長義の部屋の位置が山姥切国広のモンペなるものに関わってくる理由が主にはわからなくて近侍を振り返ったが、明石国行はただ首を横に振った。
「わからんならわからんでええですよ。胸糞悪い話やし」
近侍の柔らかい声にそうか、と考えるのをやめる。主は自身が少し特殊な状況で育って世間知らずである自覚があるのだが、そもそもモンペという言葉がわからないということは口をつぐんでおいた。
「鯰尾もそこまでにしといてな?」
「はーい」
ぷんすかしつつも、気は晴れたのか鯰尾藤四郎は寝転んでいた体を起こして、すっかり冷めた湯呑を手に取りぐいっと傾ける。
「大変だったんだな……ごめんな」
「主のせいじゃないですから気にしないでください。元気になってよかったですし、南泉がいなかったのが悪いんです」
「南泉がいないのはボクが幸運を運びきれなかったのが悪かったんですよ」
主の采配のせいではと口を挟む前に物吉貞宗に遮られた。江戸城攻略に気合が入っているところは見ていたのに、当時は理由を知らなかったなと落ちない鍵を探して戦場をうろうろしたことと、長持を開けても開けても次の鍵が出なかった蔵のことを思い出しかけて慌てて首を振る。条件を揃えたら確実に励起できる刀剣男士のなかでは、江戸城組は簡単に行けそうに見えて運にとても左右されるほうだ。二段構えの運試しに心が折れやすい。
「物吉のせいじゃねえって。考えなしだった山姥切も悪い」
「ま、全部ですね」
と、雑に一期一振が纏めた。
「山姥切も元気に駆け回っているうちに馴染んだしな」
「気にかけてくれてたあたりは、南泉の部屋の位置知ったら勝手に納得してくれたみたいだしね」
各種施設から遠いし景色がいいわけでもない、ただ日当たりのいいだけの一角は猫に呪われ、猫のような基質を持ってしまった刀剣男士にはちょうどいいと思われたのだ。なるほど古馴染みのために確保したのだとそれぞれが得心して、ようやく静かな騒動は収まった。かわりに擬似的な離れのようなところで二振りで暮らしているような状況に別の疑念も生まれていたが、こちらに関しては他にも似たような状況で暮らしているものたちがいるためにいつの間にか立ち消えた。普段の二振りがあまり行動をともにしなかったことも一因だ。
「その南泉は来たら案の定、部屋から出てこねえもんなあ。端末に連絡したら反応あるだけマシだけど」
「あの変わりのなさに驚いたね」
後藤藤四郎の呆れがこもった発言に一期一振がしみじみと頷く。もとは尾張徳川家で共にあった後に離れていた分、余計に感じるところがある。
「そんなにひきこもってはります? そこそこ執務室には顔出されますし、書庫でも会いますよって」
明石国行が不思議そうに首を傾げた。
「それは最低限の外出にたまたま行き当たるところにいるからですよ。私もここにいますので執務室で顔を見る頻度は分かりますが、本当に必要最低限ですよ。ただ、外に行く分こちらに顔を出すことがあるだけです」
集団生活を送る上で最低限の規律は必要だろうとあらかじめ定められていることの一つに、出入りの記録を残すというものがある。この出入りというのはサーバー内移動は含まれないのだが、共通サーバーに設えられているほうの万屋への移動と、ネットワーク的に完全に切り離されているために一旦サーバーから物理的にログアウトの必要性がある南泉一文字の出向先への移動だけは執務室への申請が必要になる。自動的に記録される数字と、実際の数字の突き合わせを行うための措置だ。
「ああ……」
深く納得した相槌になんとなく全員で共感してしまい、ふと室内が静寂で満ちた。
それぞれがなんとなく手元の湯呑を傾ける。さすがに四年もやっていれば多少はうまくなった気がする一期一振のいれた茶はとうに冷めきっていたが、吹き出してしまうほどの味ではない。
「あの、話を最初に戻してもいいです? 主が知ってる事情は俺たちが聞いてもいいものですか?」
呼んだのはその話もあったのでしょう、と鯰尾藤四郎が首を傾げた。
「うん。本人が言ったようなものだからいいかと。南泉は山姥切長義が傍に居ると寝かせてもらえないらしいよ。絶対に起こされるんだって」
「は?」
あっさりと答えた主にその場にいた刀たちの目が丸くなる。
「山姥切長義が寝てても、傍で南泉が寝てるのに気付いたらすぐ目を覚まして叩き起こすらしい」
伝わらなかったかと主がもう一度同じ内容を繰り返すと、いいですわかりましたと鯰尾藤四郎に遮られ、他のものもみんなそれぞれ頷いた。
「ええー。山姥切、そんなに横暴だっけ?」
「どちらかというと、南泉が許容してるっぽいほうが驚きでは?」
「というか、やっぱり山姥切、南泉の部屋に自由に入れるんですね」
「あっそれ思った。南泉の縄張り意識からすると鍵設定《セキュリティ》厳しそうなのに」
主の意向で個々の部屋の出入りの認証はとても厳しい。基本的には部屋の主として登録されているものだけが扉を開けて中へと入れるのだが、兄弟刀などの身内が自由に出入りできるように個別に認証の設定をすることもできるのだ。
「山姥切も不法侵入しそうにないけど……でも南泉相手だからなあ……」
殊更に遠慮というものを持たない二振りは端から眺めているだけではそれぞれの線引の度合いがよくわからないことのほうが多い。かといってわざわざ確認しておくほどのこともなく、同じ敷地内に暮らしているとはいえ、朝食以外では意図しないと顔すら合わせることはない程度に物理的な距離がある。
「でもその南泉相手にでも、さすがに徹夜明け叩き起こすのは罪悪感あるんだなって思いました。殺気怖かった」
「あれは鯰尾がよくないですよ。南泉は気にしてないでしょうけど」
山姥切、何に怒ったんでしょうねと物吉貞宗が微笑む脇で、己に待ち受けている未来を思い出して鯰尾藤四郎が頭を抱えた。
「でもさあ、後でまずかったなって思うのに起こしちゃうんだな……」
「誰にでも自分ではままならないものはあるもんだよ。本当にもうどうしようもなくコントロールができないもの。だから南泉も山姥切長義に怒ってなかったろ」
それは、許容の内側だ。借りは押し付けて返させるものといえども、そこに合意がなければ取引は成り立たない。
「そういえばそうですね」
「世話焼かせてましたものね」
「普段はそもそも距離とってるもんな」
「とりあえず鯰尾兄が絞られたあと、万が一あの二振りが喧嘩始めたら、主にはいい胃薬を薬研に見繕ってもらおうな」
「待って」
いきなり挟まれた不穏な提案に主が慌てて口を挟むも、かつて同じところに所蔵されていた一期一振を含む四振りが一斉に遠い目をする。
「人の体を得て初めて、あの時の感覚はこれだなって思ったのが胃痛でしたね」
きゅってなりましたきゅって、と物吉貞宗が言うのに明石国行と主以外が深く頷いた。
「一度始めると平気で数年続きますからね……」
「離れたところに陣取ってくれてほんっとよかった。物は壊さないけど周りに迷惑はかけるもんな」
「いっそいつもみたいに斬り合ってくれればいいのにさあ……本当に喧嘩するときには刀抜かないのなんなの」
「噂したら影っていうしやめようぜ……」
「そうですよ、気づかなければなかったことになるのだから見ないふりが一番です」
古馴染みたちがそろってぎゃあぎゃあ騒ぎながらも震えているのを横目に、主に寄ってきた近侍が緑茶のおかわりを湯呑へと注いでくれた。
「ところでどういう流れでそんな話《ひみつ》きけたんです?」
「そのへんは個人のプライバシーなので黙秘します」