ちいさいつるまるさんとかぶりもの
「つるさーん」
声が大きくなりすぎないように気をつけながら、燭台切光忠はもはやいくつめだかわからない扉を開けて部屋の中を覗き込んだ。龍脈穴守の屋敷は人が寄ることも多いため、住む人の規模の割にかなり大きい。大倶利伽羅の屋敷はその中でも王都内にあるせいでひときわ立派な作りだ。居住に使っている部分はごく僅かなのだが、そのせいでこどもが部屋から抜け出してどこかへと姿をくらませている今みたいなときには大変なことになる。
名前を呼びながら、家の中をくまなく探して歩くのは、こどもには負担なのだと知っていた。けれども、放置もできない。やっとあれこれが落ち着いて、この屋敷に移ってきたばかりなのだ。禁じられた場所に不用意に立ち入ってしまうようなこどもではないけれど、不慮の事故というのはいつでも起きる。
せめて朝ごはんは食べてほしい。
「つーるさーん」
うろうろと歩いているうちに、気付けばこどもの部屋まで戻ってきてしまっていた。これだけ見て回っても出てこないのだから、もう一度部屋の確認もしておくかと、そろりとドアを引いた。
閉まったままのカーテンの隙間から光がこぼれて、暗い部屋の中をほの明るく照らしている。
「おじゃましまーす」
こどものための部屋だが、まだいろんなものが揃っていなくてどこか寒々しい。寝台はこどもが抜け出たままの姿で上掛けがめくれている。とりあえずカーテンを開けて、ついでに換気のために窓も開けた。リネン類はまだ取り替えなくてもいいかと、ベッドメイクだけはしておこうかと手をかけておやと首を傾げた。
こどもが自分から選んだガーゼケットが一枚見当たらなかった。
床に落ちているということもなく、こどもとともに消えている。
抱えて一緒に移動していたのなら痕跡くらいは残ってそうなものなのだけれどもとくるりと部屋の中を見回してみれば、作り付けの棚の扉から件のガーゼケットがはみでていた。
朝一、部屋を覗いて寝台が空っぽだと思ってしまったのは早合点だったかもしれない。
「つるさん? 勝手に入ってごめんね。出てるね」
触ってしまったけれど、ぴしっとさせてしまっても気になるかもしれないと、持ち上げていた掛布をふわりと戻す。空気は十分入れ替わっただろうと、窓だけ閉めて部屋をあとにした。
§
朝食を先に作っておくかと厨房へと赴けば、すでに先に大倶利伽羅が火に向かっていた。
二人してうろつきまわってもこどもが怯えるだけだろうと、慌てる光忠に揺さぶられても布団から出てこなかった大倶利伽羅はかわりの仕事をしていてくれたらしい。
「いたのか?」
「うん、開けてみてないけど部屋のクローゼットにいたみたい」
鍋の中身を確認して、配膳の支度のために食卓へと向かう。くたくたになるまで牛乳で煮込まれたパン粥は、まだ食べられるものが少ないこどもの数少ない好物のひとつだった。慣れない匙でたどたどしくも一生懸命に食べるのをいつもつい見守ってしまって、手元のものは冷めてしまうが仕方がないと思う。
支度をすべて終えて、あとはこどもが起きてくるのを待つだけかと息をついたところで、ぺたぺたと歩く足音が聞こえてきた。
「みつ……」
そうっと食堂の入り口から白い布をかぶったこどもが姿を見せる。
「おはよう、つるさん」
できる限り優しく聞こえるようにとやわらかに声をかけると、こどもはぴゃっと布を深くかぶった。よく見たら、先程見なかったガーゼケットである。床についてずるずると引きずってきたのなら洗わなければならないなと考えるも、こどもから剥がすのも大変そうだとも思う。
「……えーと」
「起きたのか、つる。飯にするぞ」
台所から大倶利伽羅が出てきて、光忠の脇を通るとこどもが逃げる間もなくすっと抱き上げた。
「伽羅ちゃん!?」
慌てる大人とこどもを意に関せず、大倶利伽羅はこどもを食卓のちいさな椅子に乗せて再び台所へと戻っていく。光忠が動けないでいる間に、もごもごと布の塊が動いたあと、こどもの白い頭が飛び出してきたが身体はガーゼケットにすっぽりと包まったままだ。
「大丈夫?」
きょとんと光忠を見上げたこどもはすこしたったあとにこくりと頷く。
「おなか、すいた」
「そっか。今日は伽羅ちゃんがパン粥作ってくれたよ。つるさん、好きだよね」
「みつ、ちがう?」
なぜかしょんぼりとしたこどもに、あれ、と内心首を傾げた。
「お前が隠れてたから光忠は心配だったんだ」
ことりと湯気の立つ器が三人それぞれの前に置かれていく。
不安げにきょろきょろとあたりを見回したこどもは、またもとのようにガーゼケットを頭からかぶろうとして大倶利伽羅に剥がされた。古い付き合いのせいか、大倶利伽羅のこどもへの態度は常と変わらない。こどもを怯えさせないように一挙手一投足に気を使っている光忠とは大違いだ。
「ここは安全だと言っただろう。あと食事中はかぶるな」
「でも」
唇を噛み締めて椅子の上で丸まってしまいそうなこどもに、光忠は大倶利伽羅が剥ぎ取ったガーゼケットを柔らかくかぶせた。
「みつ……」
「かぶっててもいいよ。でも後でガーゼケットは洗おうね。床をお掃除してしまったから」
「……うん」
ほっとしたように頷くこどもには大倶利伽羅もそれ以上は何も言わずに椅子に座る。三人ともが席についたところで、それぞれ食前の祈りを捧げて食べ始めた。
食事中は示し合わせているわけではないが、誰も喋らないのでこどもの匙が食器にかつかつとあたる音がするだけで静かなものだ。
「ごちそ、さま」
食べ終えて手を合わせたこどもがまだ食べている大人二人を横目にするりと椅子を滑り降りる。
「つる?」
「あらう、する」
まだかぶったままのガーゼケットをぎゅっと握りしめるこどもに、大人二人は食卓の上で苦笑して目を合わせた。
「まだいい」
手を伸ばして大倶利伽羅が再びこどもを椅子に乗せ、光忠は台所へ食後に出すつもりで用意しておいた果物を取りに行く。
「りんご!」
目を輝かせるこどもに、食べてからねといえば素直にこくりと頷いた。
§
それからもたびたびこどもがガーゼケットをかぶってうろちょろしたため、引きずらない長さのタオルにフードを付けてやるのは、また別の話。