#ふぁぼされた数だけ存在していない自分の作品から一文や台詞を抜き出して紹介する
ぽたりぽたりと岩を穿つ水がとうとう穴を開けたのだと誰もが思った。それはつまり破壊と同義なのではとは誰も言い出すことがなかった。(燭鶴)
緻密に計算ができればできるほど、驚きなど何もなく全てが定められたかのように収まっていくのだと褪せた声が告げた。(燭鶴)
手を伸ばしたつもりだった。事実、刀は己のであり、己の体でもある。だから、切り裂いてしまったのはただの事故だった。(燭鶴)
どこかから飛んできた果物を平然と受け止める男に呆れしか覚えなかった。眼帯をしているがゆえに生じる死角からは飛んでこないからと頑是ないこどものいたずらを許容するような声で告げられて虫酸が走る。どちらの意図もわかってしまう自分がいつ口を開いてしまうのかも恐ろしかった。(燭鶴)
踊らされたと気づくときにはおそすぎた。真白の鳥がいつだって「口実」を探していたことなんて誰よりも知っていたはずだったのにまんまと乗せられてしまった。(燭鶴)
今日も床に鶴丸国永が落ちているという報せが大倶利伽羅のもとに齎された。
いらない。(くりつる)
横になって布団をかぶって目を閉じるだけだと先達はいった。なるほど簡単だなと思い込んだのはきっと自分がうまく出来ないのだとわかっていたからだろうと一向に訪れない眠気に溜息を付いて起き上がることにした。観察対象はおあつらえ向きに隣室にいる。(くりつる)
誰も訪れない暗がりについ身を潜めるから、光が余計に眩しいのだと知っていた。けれどもすでに身に染み付いてしまった習慣はどうやっても剥がせないのだとも理解していた。(堀川国広)
言葉というのは存外に不自由だ。形にしてしまえばそれしかないように思えてしまう。詳らかな言祝ぎは呪言と相違ないようにしか聞こえず、結局は南泉一文字も山姥切長義のために言葉をつむぐしかなくなってしまった。(にゃんちょぎ)
「人形は愛してやらねばならぬ。だが、人形に恋うてはならぬ」幼い頃から繰り返し聞かされた人形師としての心得を忘れたことは片時もなかった。だから、あのときの自分には殺意しかなかったのだ。永遠に咲き続けるはずの彼を手折ったのは間違いなく自分だった。(にゃんちょぎ)(プランツパロ)
基本的に彼の住居に訪れるのは自分の都合であって、呼び出される心当たりなど特にはなかった。けれど土下座するように差し出された紙束の名称がゲラだということを思い出すと同時に、何をされたのかわかってしまった自分の賢さを恨んで、相手の責任を追求し忘れたのは失態だった。(にゃんちょぎ)パロ
記憶というのはいつだって自分が都合のいいように改竄され、磨かれていくのだと、夢の通い路のようなこの本丸で旧知のものに会うたびに思い知っていたはずだった。そして、忘れてしまいたいことほど、そのまま残されて棘のように己を苛むのだ。(いちみか)
君にともだちをやろうと鶴さんが満面の笑みでいった。
ともだちはもらうものではないのではと、あの日の僕は思ったし、実のところ今も思っている。埃をかぶらないように大事に大事にしてはいるけど、くまのぬいぐるみはどれほど鶴さんが悲しそうにしても決して僕のともだちたり得なかった。(燭鶴)
頭が固くて古臭い価値観に縛られているのは己の方なのではと、たまに感嘆するのだ。決して相手にはいってやらないけれども。絶対にいってはやらないけれど。(FGO/沖ノブ)